時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

「怒りの葡萄」その後

2007年01月05日 | 移民の情景

移民問題グローバル・ウオッチ  

スタインベックの名作、『怒りの葡萄』の情景を思い浮かべることのできる人は少なくなった。1930年代大恐慌の中、オクラホマの砂塵の舞う貧しい土地を離れてカリフォルニア州サン・ホアキン・ヴァレーへと新天地を求めた人たちの物語である。豊かな日の光と水に恵まれたこの地は、農業にとっては当時、理想の場所であった。自然の環境は今も変わらない。しかし、そこで働く人々の実態は70年近くほとんど改善されていないらしい。グローバル化は新たな貧困を再生産している。

  ブッシュ大統領の移民政策は、中間選挙後ほとんど実質的進展がない。イラク問題の収拾で手が回らないのだろう。しかし、政策実施が遅れるほど、不法移民増加などの既成事実が定着してしまい、選択肢はなくなり、対応は困難の度を増す。最近のニュースがその実態を伝えている。

不法移民が支える農業
  サン・ホアキン・ヴァレーは、「カリフォルニアのアパラチア」といわれたように、貧困者が多い地域ではあった。東部アパラチア山脈の一帯が、公的扶助などに依存して生きる貧しい人々が多いことはアメリカでは良く知られている。

  しかし、ヴァレーの現状は見方によっては繁栄しているともいえる。2002年、このヴァレーがあるフレスノ郡は28億ドルという全米の農産物の半分近くを生産した。それを支えるのは南の国境を入国に必要な書類を所持せず、あるいは偽造の書類で潜り抜けてきたメキシコ人などヒスパニック系労働者である。そして、この地域の農場主は、長らくこの安く豊富な労働力に依存して経営を続けてきた。

  しかし、いくつかの局面の転換があった。ひとつの転換は、
1960年中頃、それまで季節労働者を合法的に受け入れてきた「ブラセロ・プラン」が中止されたことである。その後、1970年代中頃に農業労働者の組合が結成されて、連邦最低賃金の倍近くまで賃金が引き上げられたこともあったが、農場主たちはあまり意に介さなかった。賃金率が2倍になったところで、彼らの採算にはあまり響かなかったのである。

  そして近年再び局面が変化した。過去数年間に国境管理が厳しくなり、同時にアメリカ側の建設産業が活況を呈したことで賃率が上がり、そちらに移民労働者が流れて、低賃金で果実採取などに従事する労働者を確保することが困難になってきた。

追い込まれる農場経営
  農場経営に関する自然条件が恵まれていても、人手が足りない状況が生まれている。カリフォルニア州選出の上院議員フェインシュタイン Dianne Feinstein が主張するように、不法移民をなんとか合法化して認める以外に、この地で農業を維持することが難しくなってきた。この地域はアメリカ国民にとっては重要な食料の供給地でもある。

  かつて日米の移民労働のフィールド調査を実施した時に、この地の農業は、もはやヒスパニック系(不法)移民に頼ることなしには存続しえないことを実感した。確かにコンバイン、トラクター、航空機による農薬散布など農業の機械化も普及したが、葡萄、いちご、トマトなどの摘み取りは、まだかなりの部分人手に頼らざるを得ない。

  こうした状況を背景に、サン・ホアキン・ヴァレーの農業労働者賃金は1993年から以前の6.29ドルから9.43ドルへ引き上げられたが、小売業などの産業と比較するとかなり低い。

寄せては返す移民の波
  「ブラセロ・プラン」廃止の後も長い間、メキシコの農業労働者は夏の収穫期に国境を越えて出稼ぎに来て、小さな掘っ立て小屋などを借りて住み、農閑期になると故郷へ戻っていった。国境はあってなきがごとし状況だった。しかし、いまや国境管理が厳しくなり、入国に必要な書類を持たずになんとか国境を越えたとしても安心できない。移民局などに発見されて強制送還されると、戻ってくるのが大変困難になっている。家族との離散も避けがたい。そのため、なんとかアメリカで見つからないように身を隠す努力をする。

  国境の南から太平洋の波のように移民が押し寄せ、そのかなりの部分がアメリカ国内に残るというイメージが生まれている。アメリカへなんとか入国できたら、そこを足場に家族を呼び寄せ、アメリカでの生活基盤の確保を図る。そのためには、本国送還されないように、さまざまな手立てを講じる。

  こうして、不法に入国したヒスパニック系労働者も世代が変わると、少しずつ社会的な地位上昇も進む。教育熱心なアジア系移民ほどではないにせよ、上昇志向は強い。教育が最も確かな社会的地位向上の道なのだ。

  アメリカは社会的格差はきわめて大きな国だが、これまであまり問題にされなかった。それは、きわめて苦難を伴う道とはいえ、「アメリカン・ドリーム」を実現させる空間が存在したからである。しかし、今アメリカも大きな岐路に立っている。格差拡大への不安がかつてなく高まっている。上下両院共に民主党優位となったアメリカ議会が移民にいかなる選択をするのか。その行方に、今年も目が離せない。


Reference
* "A job for all seasons." The Economist December 26 2006

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2 コメント

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手摘み作業 (pfaelzerwein)
2007-01-07 06:34:42
本日ラジオでドイツでの同様の問題を聞きました。それによりますと、昨年度イチゴやアスパラガスの手摘み作業に従事したドイツ人は一割に止まるものの、賃金への援助額が二桁のミリオン・ユーロに上り、今後は出荷を遅らすが減反するしかないとバイエルン州は発表したようです。

詳しくは改めて注意してみたいと思いますが、ドイツ人の国外への出稼ぎを含めて、以前とは問題が大分変わって来ているようです。

本年も宜しくお願い致します。
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「怒りの葡萄」その後 (桑原靖夫)
2007-01-07 15:51:05
新年おめでとうございます。今年もどうぞよろしく。

いちごやアスパラガスの採取作業は、太平の世?が続き、すっかり柔になってしまったドイツ人には厳しいようですね。日本も農業就業人口中で65歳以上の比率は50%近く、農家数も激減し、農業自体の存立基盤が揺らいでいます。

カリフォルニアの農業も実態を見てみると、メキシコ人労働者なしにはまったく成り立たない状況です。高級食材としてのマッシュルームを日本から導入した水耕栽培している農場も、伝統的に支柱を使ってトマトを栽培しているところもメキシコ人労働者に頼っています。製造業が比較的比率が低いくらいで、農業、サービス業、食肉加工業など、アメリカ人はどこにいるのかと思うくらいの所もあります。

アメリカはかつてのブラセロ・プランに近い農業労働者の合法的受け入れプログラムを導入することになるでしょう。アメリカの野菜供給は、メキシコ人労働者なしにはできなくなっているのですから。さて、日本が中国と地続きであったら、どうなっているか、考えさせられます。
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