『同時代も歴史である 一九七九年問題』
坪内祐三、2006、『同時代も歴史である 一九七九年問題』、文春新書
本書は、著者の連作評論で2003年6月から2004年11月まで断続的に『諸君』に連載されていたものを集めた。
「1984年の『アンティゴネ』と2003年の『アンティゴネ』」は、1984年というオーウェルの同名書の年に演じられた福田恒存・演出の演劇「オイディプス王」と2003年の「アンティゴネ」を読み解き、ギリシャ古典劇ではなく、現代劇としてのギリシャ古典劇の中に現代人の諸問題を解き明かそうとする。
「戦時の『傷』は暴かれるのを待っている」では、戦中情報局に勤務し文学界の体制翼賛化を指導した評論家の平野謙の二度の転向をめぐって、戦時の体制翼賛への態度の詳細の再分析の必要を取り上げた。
「いまさらネオコンだなんて―ネオコンの祖ノーマン・ポドレッツの転変」では、1950年代「ニューヨーカー」誌や「コメットメント」誌での評論活動を通じて、ネオコンの祖ノーマン・ポドレッツがどのように自分らしさを出していったかについて、ヨーロッパとアメリカのアイデンティティをめぐって論じる。
「『1968年』を担ったのはだれだったか?」では、70年安保を担ったのは団塊の世代かどうかについて、ほんの一年の生年の差と体制の変革が、学生運動にどのように影響を与えたかについて論じる。
「山本夏彦の『ホルモン、ホルモン』」では、山本夏彦の残したノートを元に構成された『夏彦の影法師』をもとに、夏彦を論じる。
「今なぜ、40年前の洗脳テロリスト物語か?」では、洗脳テロリストについて描かれた、1959年に刊行された『影なき狙撃者』と1962年に製作された同名の映画および、リメイクの『影なき狙撃者』がくしくも、エポックな事件に関連していること、最初のそれは、ケネディ暗殺に、リメイクは9・11事件に重なっている事、また、洗脳についてのイメージが語られる。
「イラク派遣「人間不在の防衛論議」ふたたび」では、アメリカのキリスト教のマジョリティが福音派であって、原理主義的な世界理解に基づき現在のアメリカの対外政策にまで影響を及ぼしてこと、また、日本における戦後のアメリカ化の影響によって、日本の「カミ」が死に、日本の対外政策が揺らぎ勝ちであることを指摘する。
「『軽い帝国』が行使する『まだましな悪』」では、イグナチェフの連作評論を通じて、アメリカ「帝国」が従来の「帝国」のように振舞わないことによって「自由」を生み出すが、その自由はまさに混乱のさなかに各地域を叩き込むことになることを指摘する。
「1979年春、そのときに『歴史』は動いていた」は、1979年春に起きたイラン革命と前年末のソ連によるアフガン侵攻が、植民地支配に始まる近代主義の終わりとポストモダンへの大きな切り替わりの時期であったと論じる。
さて、私も、この同時代に生きている。1979年5月から1980年3月にかけて、ミクロネシアのサンゴ礁の小島で生活していたわたしは、国際政治をほとんど意識することはなかった。しかし、私のフィールド行きは、アメリカによる国連信託統治領ミクロネシアの政体を決定する重要な国民投票のタイミングでもあった。東西冷戦構造の終焉の見通しのなかで、ミクロネシアは、連邦結成による自由連合(外交・軍事をアメリカにゆだね自治権を確立する)を選択した。
この時期、デタントの流れを踏まえて、東西冷戦緩和へと動いていた。ソ連の崩壊はもっと後であったが、現在の政治的な状況に近似した状況が生まれつつあったのである。終章の「1979年春、そのときに『歴史』は動いていた」を読みながら、自分のその年の生活を思い出していた。
しかし、真っ青な空と真っ青な海、真っ白な砂浜。寄航した連絡船がラウドスピーカーでながすビージーズの「Night Fever」や「Stain Alive」のサウンドが強烈な印象として残っている。
本書は、著者の連作評論で2003年6月から2004年11月まで断続的に『諸君』に連載されていたものを集めた。
「1984年の『アンティゴネ』と2003年の『アンティゴネ』」は、1984年というオーウェルの同名書の年に演じられた福田恒存・演出の演劇「オイディプス王」と2003年の「アンティゴネ」を読み解き、ギリシャ古典劇ではなく、現代劇としてのギリシャ古典劇の中に現代人の諸問題を解き明かそうとする。
「戦時の『傷』は暴かれるのを待っている」では、戦中情報局に勤務し文学界の体制翼賛化を指導した評論家の平野謙の二度の転向をめぐって、戦時の体制翼賛への態度の詳細の再分析の必要を取り上げた。
「いまさらネオコンだなんて―ネオコンの祖ノーマン・ポドレッツの転変」では、1950年代「ニューヨーカー」誌や「コメットメント」誌での評論活動を通じて、ネオコンの祖ノーマン・ポドレッツがどのように自分らしさを出していったかについて、ヨーロッパとアメリカのアイデンティティをめぐって論じる。
「『1968年』を担ったのはだれだったか?」では、70年安保を担ったのは団塊の世代かどうかについて、ほんの一年の生年の差と体制の変革が、学生運動にどのように影響を与えたかについて論じる。
「山本夏彦の『ホルモン、ホルモン』」では、山本夏彦の残したノートを元に構成された『夏彦の影法師』をもとに、夏彦を論じる。
「今なぜ、40年前の洗脳テロリスト物語か?」では、洗脳テロリストについて描かれた、1959年に刊行された『影なき狙撃者』と1962年に製作された同名の映画および、リメイクの『影なき狙撃者』がくしくも、エポックな事件に関連していること、最初のそれは、ケネディ暗殺に、リメイクは9・11事件に重なっている事、また、洗脳についてのイメージが語られる。
「イラク派遣「人間不在の防衛論議」ふたたび」では、アメリカのキリスト教のマジョリティが福音派であって、原理主義的な世界理解に基づき現在のアメリカの対外政策にまで影響を及ぼしてこと、また、日本における戦後のアメリカ化の影響によって、日本の「カミ」が死に、日本の対外政策が揺らぎ勝ちであることを指摘する。
「『軽い帝国』が行使する『まだましな悪』」では、イグナチェフの連作評論を通じて、アメリカ「帝国」が従来の「帝国」のように振舞わないことによって「自由」を生み出すが、その自由はまさに混乱のさなかに各地域を叩き込むことになることを指摘する。
「1979年春、そのときに『歴史』は動いていた」は、1979年春に起きたイラン革命と前年末のソ連によるアフガン侵攻が、植民地支配に始まる近代主義の終わりとポストモダンへの大きな切り替わりの時期であったと論じる。
さて、私も、この同時代に生きている。1979年5月から1980年3月にかけて、ミクロネシアのサンゴ礁の小島で生活していたわたしは、国際政治をほとんど意識することはなかった。しかし、私のフィールド行きは、アメリカによる国連信託統治領ミクロネシアの政体を決定する重要な国民投票のタイミングでもあった。東西冷戦構造の終焉の見通しのなかで、ミクロネシアは、連邦結成による自由連合(外交・軍事をアメリカにゆだね自治権を確立する)を選択した。
この時期、デタントの流れを踏まえて、東西冷戦緩和へと動いていた。ソ連の崩壊はもっと後であったが、現在の政治的な状況に近似した状況が生まれつつあったのである。終章の「1979年春、そのときに『歴史』は動いていた」を読みながら、自分のその年の生活を思い出していた。
しかし、真っ青な空と真っ青な海、真っ白な砂浜。寄航した連絡船がラウドスピーカーでながすビージーズの「Night Fever」や「Stain Alive」のサウンドが強烈な印象として残っている。
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