『ハーモニー』
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伊藤 計劃、2008、『ハーモニー』、早川書房 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)
ミシェル・フーコーのいう、現代社会は究極の監視社会、パノプティコン(刑務所の収監者監視施設)である。それは、本書が描く世界ではあるが、同時に、われわれの同時代の社会でもある。そのなかで、重要なバイプレーヤーである御冷ミァハの生まれたチェチェンや医療都市バグダッド、また、主人公が酒やタバコを「不法に」取引するトァレグ社会という、本書の舞台の設定は、まこと、皮肉この上ない。
本書には、そのフーコーの言葉がひかれる。いわく、「権力が掌握しているのは、今や生きることそのもの。そして生きることが引き起こすその展開全部。知っていうのはその権力の限界で、そんな権力で、そんな権力から逃れることができる瞬間。史は存在の最も秘密の点。最もプライベートな点」(283ページ)。「生政治」、いわゆるバイオポリティクスの世界である。人々は、死ぬまで生き続けさせられる。そして、その死は自ら選択した死ではなく、死ぬことの自由もない。本書で描かれる世界は、WatchMeという装置が人体に組み込まれていて、テレメーターにより身体の状況は常に掌握されている。そうした世界に、大量の自殺者を生み出し、監視社会に対する反対勢力の首魁である御冷ミァハがもたらそうとするのは、同じく、WatchMeを開発した勢力が開発した自意識を消去してしまう至福の世界を実現するための装置「ハーモニー」のスイッチをいれさせるよう、危機感を呼び起こすために大量に自殺者を生み出そうとする。
葛藤を解決しようとするから自意識が生まれ、悩み苦しむ。しかし、葛藤を感じなくなれば、自意識が生まれることもなく、至福の世界が生まれるという発想が、このシステムの動機であった。皮肉なことに、もともと、進化の途上で葛藤を感じないように進化してきた少数民族出身の御冷ミァハが、少女の時にチェチェンを支配しようとするロシア人将校の性的な慰みとなった過程で究極の設定の中、自他の葛藤がうまれ、結果として自意識が生まれた御冷ミァハは、葛藤の中で生きることを拒否し、至福の無自我への回帰させることを理想とするいう運動をうみだす。
本書は創作ではあるが、現実社会とまことに近似していると見てよいだろう。SFは未来を予告するというが、タイムリーに菅首相の「最小不幸社会」(オルダス・ハクスレーの『すばらしい新世界』からヒントをうけたというが)の発言、これを聞いて、寒気がした。ずいぶん昔に読んだので鮮明な記憶として残っていないが、ハクスレーの著書は、人間のすべてが管理された究極のパノプティコン社会(監視社会)を「すばらしい新世界」として、批判的に描いたはずである。マスコミの取り上げる文脈は、違っているのではないか?また、首相の理解が、誤っていなければいいのだが。不幸が最小になる社会というのは、果たして、理想であるのかどうか。悩みも何も消えうせた社会は幸せというのだろうか。
ミシェル・フーコーのいう、現代社会は究極の監視社会、パノプティコン(刑務所の収監者監視施設)である。それは、本書が描く世界ではあるが、同時に、われわれの同時代の社会でもある。そのなかで、重要なバイプレーヤーである御冷ミァハの生まれたチェチェンや医療都市バグダッド、また、主人公が酒やタバコを「不法に」取引するトァレグ社会という、本書の舞台の設定は、まこと、皮肉この上ない。
本書には、そのフーコーの言葉がひかれる。いわく、「権力が掌握しているのは、今や生きることそのもの。そして生きることが引き起こすその展開全部。知っていうのはその権力の限界で、そんな権力で、そんな権力から逃れることができる瞬間。史は存在の最も秘密の点。最もプライベートな点」(283ページ)。「生政治」、いわゆるバイオポリティクスの世界である。人々は、死ぬまで生き続けさせられる。そして、その死は自ら選択した死ではなく、死ぬことの自由もない。本書で描かれる世界は、WatchMeという装置が人体に組み込まれていて、テレメーターにより身体の状況は常に掌握されている。そうした世界に、大量の自殺者を生み出し、監視社会に対する反対勢力の首魁である御冷ミァハがもたらそうとするのは、同じく、WatchMeを開発した勢力が開発した自意識を消去してしまう至福の世界を実現するための装置「ハーモニー」のスイッチをいれさせるよう、危機感を呼び起こすために大量に自殺者を生み出そうとする。
葛藤を解決しようとするから自意識が生まれ、悩み苦しむ。しかし、葛藤を感じなくなれば、自意識が生まれることもなく、至福の世界が生まれるという発想が、このシステムの動機であった。皮肉なことに、もともと、進化の途上で葛藤を感じないように進化してきた少数民族出身の御冷ミァハが、少女の時にチェチェンを支配しようとするロシア人将校の性的な慰みとなった過程で究極の設定の中、自他の葛藤がうまれ、結果として自意識が生まれた御冷ミァハは、葛藤の中で生きることを拒否し、至福の無自我への回帰させることを理想とするいう運動をうみだす。
本書は創作ではあるが、現実社会とまことに近似していると見てよいだろう。SFは未来を予告するというが、タイムリーに菅首相の「最小不幸社会」(オルダス・ハクスレーの『すばらしい新世界』からヒントをうけたというが)の発言、これを聞いて、寒気がした。ずいぶん昔に読んだので鮮明な記憶として残っていないが、ハクスレーの著書は、人間のすべてが管理された究極のパノプティコン社会(監視社会)を「すばらしい新世界」として、批判的に描いたはずである。マスコミの取り上げる文脈は、違っているのではないか?また、首相の理解が、誤っていなければいいのだが。不幸が最小になる社会というのは、果たして、理想であるのかどうか。悩みも何も消えうせた社会は幸せというのだろうか。
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