イギリスのITV制作のテレビシリーズでシーズン1が2013年、シーズン2が2015年、各1〜8エピソードで放映された。今回はAmazon Prime Videoで視聴した。
別の街で起訴にも持ち込んだものの無罪とされて最低の刑事との世評をうけたアレック・ハーディ警部補がブロードチャーチの町の警察署に赴任してくる。休暇をとって休暇明けには昇進すると信じていたエリー・ミラー部長刑事がその相棒となる。殺人などなかった町に起きたのがダニー少年の事件だった。自殺とも見えたが状況証拠からは、殺人とみなされる。
ブロードチャーチは小さな海岸の街で観光シーズンには観光客が訪れるが、オフシーズンには地元の人間だけの小さなコミュニティだった。住民誰もが他人に知られたくない秘密を抱えながらも息をつまらせながらも他人の視線を避けながら生活している。
シーズン1ではダニー少年の殺人事件の容疑者がエリーの夫である元救命士のジョーであったことが明らかになるが、逮捕までの過程や警察に拘留中に様々な不手際があり、また、関係者はそれぞれあかせない秘密を抱えている。また、アレックは以前の街での事件での不手際をお解決すべく、別件も個人的に負っている。
シーズン2は、ジョーを裁く陪審裁判で幕を開ける。法定での様々な登場人物の証言により、真実とはなにか揺らぎ始める。一方、アレックの別件の捜査は次第に展開し始める。シーズン2の最終回(エピソード8)では両方の事件の結末が待っている。さて・・・といったところだ。
いやー、陪審員裁判は難しいことがわかる。警察の証拠調べもさまざまな厳密さが求められるはずだが、そこは人間がやることなのでドラマの上でのケースだとは思いたいが、現実にはさまざまな手抜かりや齟齬があって、有罪が無罪にあるいはその逆になってしまうことが予想される。このドラマを見る限り、「推定無罪」に向けて陪審員がうごくのだが、かといって、有罪を無罪としてしまう可能性も否定できない。とはいえ、やはり、そうした方向のほうが冤罪をなくすといういみでも、そして、人間は様々な間違いを犯すものという前提で司法手続きが進められることは望ましいとも言える。
以前、1度だけ裁判を傍聴したことがある(2009年12月27日)が、日本では陪審員裁判とはいわず、裁判員裁判とよぶ。歴史も制度も異なるので一概には言えないものの、その時の感想を記したものがあるので、以下にそのリンクを付けておく
裁判員裁判傍聴記(1)裁判員裁判傍聴記(2)
[追記]このシリーズは2つの事件の解決へのプロセスが並行して起きる様子が描かれているのだが、最終回で陪審員裁判が無罪と決したあと被害者や加害者に親しかった人々が私的制裁かと思えるような行動にでる。無罪判決を受けて放免されたジョーをとらえて、小さなコミュニティとしての決定を告げる。街をで行くこと、用意しておいた更生施設に入ることである。アメリカ西部や南部での私的制裁(リンチ)で絞首するシーンをよくみたが、このシーンは殺しはしないもののコミュニティから追放し更生施設に送るのでいわば社会的な死刑(追放すること)ではある。日本での「村八分」と同じである(村八分は葬式と火事での支援を除く関係を除くことであった)。このシリーズでのコミュニティの結論は残る人々による浄化を結論づけるということであったが、かといって、コミュニティのその後がどのようなものになるのかがわからない。息苦しく秘密を守りながら他者と付き合いを続けるということなのだろうか、それとも、コミュニティはなにか変わるのだろうか?