東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 国木の西迫,真殿,畑方面の史跡調査(2/2)

2016年05月08日 | 歴史探訪他ウォーキング

 続いて真殿地区に行きましたが、真殿に来たのは初めのことです。集落の上の方に、薬師堂があるとのことで、どんどん坂道を登りました。すると、お堂のような、集会所のような建物がありました。一見しただけでは、屋根瓦が綺麗な普通の平屋にも見えます。そこで、近くで花の手入れをしている方にお聞きすると、やはり真殿の薬師堂とのことでした。屋根が綺麗なのは、去年瓦をやりかえたからとのことでした。屋根が朽ちているお堂が少なくない昨今、この薬師堂は地域の方々に大切にされていることが分かります。

              去年屋根をやりかえた真殿の薬師堂


 ガラス越しに中を見学させていただきました。すると、向かって左側に薬師如来でしょうか小さな仏像が安置されていました。そして、向かって右側には神棚が二つ飾ってありました。お話しを伺うと、荒神様と地鎮様のようです。真殿では今でも、荒神様と地鎮様が、一年に一度それぞれ当屋が順番に回っているとのこと。そして、3月に当屋の交代時にこの薬師堂でお祭りをするそうです。また、かつては蓮華寺のご住職様がこの薬師堂に説法をしに来ていたそうです。しかし、去年ご住職が亡くなってからは説法が無くなったそうです。詳しく聞く時間がなかったため、後日再訪してお聞きしようと思います。

 石垣の上方に薬師堂       安置された薬師像      神棚に荒神様と地鎮様
   

 真殿薬師堂から急坂を降りると、これまた初めての畑地区に行きました。最初、峠近くの山道から入ろうとしましたが通れません。そこで、ラブホテルが並ぶ通りを下った場所で畑地区に入りました。田んぼ跡がたくさんありました。その道を行くと、小さなお地蔵様が一体、少し行くと二体のお地蔵様が道傍に安置されていました。

             畑地区、たくさんの田んぼ跡と民家が数軒


 お地蔵様二体の道傍にある家の方に、お話しをお聞きしました。すると、常時畑地区に在住する方は二軒だけとのことでした。そして連休の時だけ帰宅している方がいるとのこと。
 ところで古い地図によると、畑から西千坊山に登る古道があります。その古道についてもお聞きしました。すると、今はもう草木が茂って登れないだろうとのことでした。かつては、この道を通って室津方面へ行ったそうです。その古道の道端に、あと二個所にお地蔵様があるそうです。谷筋の山道を登りつめると、西千坊山駐車場の横に出るとのことです。

  一ヶ所目のお地蔵様      二ヶ所目のお絵地蔵様    橋を過ぎた所のお地蔵様
  

 そこで、古道を進んでみました。小さな橋があり、その橋の手前に最奥部の民家が1軒ありました。その橋を渡って進むと、二体のお地蔵様がありました。向かって右のお地蔵様は首がありませんでした。さらに進むと、谷筋に古道が延々と続いていました。その古道の途中に、もう一ヶ所お地蔵様があるはずです。しかし、草木がだいぶ繁茂していたため、今回はここで止めました。
 畑地区を出ると、西千坊山尾根筋にある駐車場に行ってみました。この駐車場近くのどこかに畑から続く古道があるはずです。しかし、尾根側からは古道の出口を見つけることができませんでした。この冬にでも再度畑の古道に来てみようと思います。

               今回史跡調査のため散策した国木周辺

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