般若院を過ぎると、小さな川を上りました。そして、架かった橋の南側袂にあるお地蔵様を見学しました。榊が活けてありましたが、すっかり枯れていました。お世話をする方が少ないのでしょう。再び川を下って世良修蔵屋敷跡に行きました。幕末期、大島口の戦いで第二奇兵隊総監だった世良の屋敷がここにあるとは知りませんでした。次に海岸に出てみました。夏は海水浴場になるのでしょう、整備された砂浜が広がっていました。
橋の南袂のお地蔵様 世良修蔵屋敷跡 赤根武人墓地
次に阿月トンネルまで行き、舗装された県道に出ました。しばらく歩道を伊保庄方面に歩きました。すると、赤根武人墓地の立て札がありました。その立て札から、急な山道をどんどん登りました。途中で休憩しないと息切れします。しばらく急登を行くと、赤根武人墓地に到着しました。こんな高い場所では、墓参りが大変です。
赤根武人墓地への急登中、見下ろした阿月の街並み
赤根武人墓地から降りると、愛宕社と疫神社に行きました。そして、その木陰で昼食休憩をとりました。この愛宕社と疫神社は、道路工事でここに移転したとのことです。昼食が終わると、青木バス停近くから無動寺へ向かいました。日陰のない舗装道路をひたすら歩きました。日差しが暑い!
左:愛宕社,右:疫神社 竹林の中の多賀社 青木観音堂
最初に多賀社を探しました。お社があるのかと思っていましたが、竹林の中にある祠でした。続いて、道横にある青木観音堂に行きました。ここは防陽第十三番霊場です。お堂の中を見学させていただきました。続いて、白井小助屋敷跡に行きました。民家の裏手にひっそりと石碑が立っていました。
白井小助屋敷跡 森に囲まれた無動寺 バイパス予定地のお地蔵様
白井小助屋敷跡を過ぎて、とある第二奇兵隊士の墓地を探しました。大島口の戦い中に亡くなった方です。探す出すことができず諦めました。そのまま坂を登って無動寺に行きました。森に囲まれた静かな寺院でした。本堂南側に、防陽十二番霊場のお大師堂がありました。
今回下見のために歩いた阿月地区のルート