無動寺を出ると、山をどんどんと下りました。すると、無動寺に行く途中で迷った道に再び来てしまいました。しかし、迷った道から下る道がありました。炎天下、その下る道を歩きました。歩いていると、トンネル状の巨大構造物をありました。
日露戦争戦勝記念凱旋門 円勝寺の石階段 愛宕社下のお地蔵様
たまたま近くにいた方に聞くと、バイパスが通る時にトンネルになるはずだった構造物とのこと。つまり、放置されたトンネルだったのです。その放置されたトンネルの近くにお地蔵様がありました。その方に、日露戦争戦勝記念凱旋門の場所を聞きました。そして、その方の言うとおり歩きました。しかし、それが誤った道だと後でわかりました。やれやれ!その誤ったコースを歩いたため、2km位無駄に歩いてしまいました。下画像のAからBに行くのが正解でした。あれこれ歩いて日露戦争戦勝記念凱旋門を発見しました。その後、疲れた足で円勝寺に向かいました。
倒壊寸前の岩休寺、今にも倒れそう
円勝寺ではご住職と談笑しました。お接待ありがとうございました。円勝寺を出ると、お昼休憩をした愛宕社の下にあるお地蔵様を見ました。そして、岩休寺に向かいました。岩休寺は倒壊寸前で、倒壊注意の札が掲げられていました。岩休寺は遠くから眺めるだけにとどめ、隣にある浦家墓地を見学しました。墓地の周りは草木が生えており、最近手入れされていないようでした。
浦家の墓地 円覚寺、枯死した上人松 東神明宮前の海岸
続いて円覚寺に行きました。扉が閉まっていたため、西の入口から入りました。本堂前に枯死した上人松の巨大な切株がありました。続いて、円覚寺の東側に回り込み、阿月の海岸に出てみました。そして、東神明宮前近くから堤防内に入りました。
東神明宮(西神明宮とそっくり) 合中地蔵堂
東神明宮は西神明宮とよく似ています。神明祭時、西と東の神明宮前の砂浜におこし立てが砂浜に建てられようです。東神明宮を見学すると、いったん阿月出張所に行きました。そして、見学し忘れていた合中地蔵堂に行きました。合中地蔵堂は防陽第十五番霊場のはずですが、札には十八番と書かれていました。どうして番号がずれているのか、今後調査の必要があると思います。
全行程約13kmでした。無駄に歩いたコースを外せば、11km位に短縮するのではないかと思います。しかしながら、とても暑い下見でした。来月は夏であることを感じながら歩いた下見でした。
今回下見のために歩いた阿月地区のルート