東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

昭和30年代の平生町の面影を巡る下見ウォーキング(1/4)

2022年01月08日 | 歴史探訪他ウォーキング

 今年は、史跡を巡るウォーキングクラブ(正式名:健康ウォーキングクラブ)を立ち上げてから10年経つ記念すべき年です。10年前、介護別居のため田布施町に帰省しました。暮らし始めてすぐ、どこかのウォーキングクラブに入ろうと田布施町や平生町をいろいろと探しました。しかし、そのようなクラブはいくら探してもありませんでした。ところが、とあるスポーツ用品店に勤める方から「それなら、ウォーキングクラブを立ち上げてみては?」とアドバイスされました。それが史跡を巡るウォーキングクラブを立ち上げるきっかけとなりました。その後10年間も続いています。ありがたいことです。

      江戸時代初期まで海に浮んでいた島の上に建つ久賀島神社


 今年初めての史跡巡りウォーキングは、平生町内の昭和30年代を思い出す史跡を巡るウォーキングとして企画しました。実は、私は昭和30年代初め平生保育園の園児でした。その平生保育園時代、平生町内を通って、国道188号線を歩き、今は無い人島橋(八海橋の400位m上流)を渡り、ほぼ毎日通園しました。当時の園児は歩いていたのです。通う道すがら、海岸線に数多くあった塩田を見たり、その塩田で働くたくさんの浜子さんを見ました。国道188号線がようやく舗装され始めた頃でした。途中に畑があり、祖母がよく迎えに来てくれていました。畑を耕している祖母が見えると園児ながら嬉しかったものです。祖母の押す猫車にちょこんと乗って帰りました。

 スタートはMaxValue    道端のお地蔵様1     聖観音菩薩堂
  

 当時の平生保育園は、今の平生町教育委員会の近くにありました。また、当時の旧習成中学校の北側にありました。園長先生は真覚寺のご住職でした。ちなみに真覚寺内には幼稚園がありました。保育園には確か年少の頃から通っていたので、4年間お世話になったことになります。当時の保育園には保母さん二人にお手伝いするおばあさんが一人勤めていました。

       お地蔵様2            久賀島神社の鳥居
 

 さて、MaxValueをスタートすると私が園児時代に通った平生町内の道を南に進みました。最初に、お地蔵様1に行きました。当時、お地蔵様1近くに子供好きなお婆さんが住む駄菓子屋がありました。近くに古本屋さんもあり、小学生の頃によく借りに来ていました。少年マガジンなど数冊を30円位で借りていたように思います。次に聖観音菩薩堂に行きました。昭和50年頃までは山門があったようですが、倒壊したのか今は撤去されてありませんでした。その後、お地蔵様2や久賀島神社を参拝しました。続いて、お地蔵様3や國木田独歩と関りがあった小川今藏宅跡碑を見ました。そして、郵便局跡に向かいました。

     昭和30年代の平生町の面影を巡る下見ウォーキングのコース


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 田布施町のわら細工民具「ほ... | トップ | 田布施町 快晴の中、新春たこ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史探訪他ウォーキング」カテゴリの最新記事