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悪い癖から、キニナルキ

2015年04月15日 | 雑記帳
 原稿依頼があり、テーマにそって書き出してはみたものの、思ったほど筆が進まない。書棚から参考に出来そうな本や雑誌を引き出し、何かヒントを得ようとした。学級づくり関係なので、背表紙をみながらピックアップ。しかしここで悪い癖が出て、あまり関わりのないものまで読みふける。そこからのキニナルキ。


 「しつけ」とは「躾」の漢字から、「身を美しく」という解釈に持っていきがちだが、「仕付け」という「仕付く」の連用形の名詞化という説もある。ただ「仕付け」の本義は、縫い目を整えるための仮の縫いつけであり、派生語も多い(仕付糸、仕付針など)、その点に注目して、野口芳宏先生はこう書いている。

 躾もここを抑えることが肝心で、「正しく教える為に」前もって心のありようを「ざっと縫いつけ」ておくことと解したい。~「学校マネジメント」H22/01より


 そうなのだ。あくまでもしつけとは「仕付け」であり、いわばきちんとした礼儀作法が身に付くためには、時間や経験を経なければならない。内実を伴って身体化されなければいけない。いくらしつけが上手な教師と評価されようが、しつけは所詮仕付けでしかないという自覚を持つ…一種のはかなさでもあろうか。


 この頃、オエライ方々の話を聴いていると(特に〇〇教育に関する内容では)とにかく、社会に役立つこと、貢献、責任…といった言辞が圧倒的である。そのこと自体を否定はしないけれど、矮小性や危険性に無自覚ではないかと思えることがある。「市場原理」に支配されそうな教育を、内田樹氏はこう斬り捨てた。

 競争優位を達成することが教育活動の目的だと言う人たちは「下位に格付けされた子どもたちは、低学歴・低所得・失業あるいは社会からの排除という処罰を受けるべきだ」という人間観に無言のうちに同意署名している。~「教師のチカラ」⑧より


 同意も署名もしないと多くの教師は言うだろう。そうではなくて、その人間観が反映された教育施策を見抜く力、姿勢を持っているかが問われているのだ。いや、見抜くだけでは駄目で、きっとそういう人間観が潜んでいる教育行為をしていないかと自己点検できることが重要だ。まず、子どもの顔を思い浮かべよ。