すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「舟を編む」という域の遠さ

2015年04月29日 | 読書
 【2015読了】39冊目 ★★★★『舟を編む』(三浦しをん 光文社文庫)

 あまりに有名なこの小説。辞書づくりの内容であることは知っていたし、映画化されていて、テレビでも放映があり、それも録画しておいたのであるが(あえて見ていない…もちろん原作を読んでからの方がいいだろう、ということで)、さらには三月下旬、本屋に平積みされた文庫本を、即買ったのであるが…どういうわけか、ページをめくらなかった。なぜ?


 読もうという気があって、居間の隅においていたら、ちゃっかり家人が先に読了。感想を話しかけてきたので「まだ読んでいない」と口止めしておいた。それが4月上旬だったかな。満を持して(なにが満なのか、さっぱりわからん。つまり、現実逃避が必要だったということか)読み始めたら、これがさすがの「本屋大賞」だと思った。薄味ながらダシがいい。


 個性的でありながら、身近なところにもそういう要素を持っている人がいるな、と思わせる。解説子も同様のことを書いていたが、私なら「西岡」の気持ちがわかったりする。と同時に、主人公の「馬締」の成長を読者の多くは温かく見守るに違いない。なぜ「舟」なのかは、読めばすぐにわかるが、昔からよく比喩されるように「航海」には多くの要素がある。


 自分は辞書好きと思っていたが、それは教材として見つめる目が強いだけなのかとふと考えさせられた。言葉に興味があっても、辞書をつくるような人には一番向かないタイプなのだ。基本的に整理整頓を編集者の資質とみる表現があり、マイッタアと思わされた。言葉にこだわりがあると褒められたこともあるが、まったく薄い薄い。しつこく、くどくあれ。


 馬締の妻である板前の香具矢が「修業のためには言葉が必要です」と語るシーンが印象的だ。「言語化」の重要性は大方が語るが、コミュニケーションや伝え合いなどの言葉で括られない「本物」には修業が似合う。語るべき体験、経験の質量こそが言語化に結集される。題名の「編む」に込められた緻密さや丹念さが物語る域は、自分からずいぶんと遠くにある。