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笑い飛ばせる心をつくる

2015年04月14日 | 雑記帳
 授業づくりネットワーク誌の巻頭特別対談「限られた時間の中で、ぼくたちができること。」は、副島賢和氏(昭和大学)と青山新吾氏(ノートルダム清心女子大学)。お二方とも特別支援教育の分野では高名な実践家である。院内学級、通級指導教室という場所で、どんなことを考えて指導支援にあたってきたか、よく伝わってくる対談だった。頷くことが多かった。


 通常教室でさえ、限定された期間の指導支援には違いない。しかし、極端な時間的限定、そして対象者に個別なハンディがある現状が基本の「教室」では、教師の仕事の原点が問われるのだと思う。それは対談中の言葉を借りれば「将来にどうつなぐか」「どのタイミングで離すか」である。そこに向けてきっと養うべき力が特定され、教師の集中を際立たせる。


 そのために、どんな心構えが必要なのか。これは心構えというより、心づくりと言った方がいいのかもしれない。支援する立場の人間が、大きな気持ちをもって接することが、目前の困難さをより複雑にしないために必要ではないか。それぞれの児童が抱えるこだわりを「面白すぎるじゃないですか、この状況って」と笑い飛ばせる心を作っていくということだ。


 もちろん、それは「鈍感」とは質が異なる。その笑い飛ばしには、事実、そして対象の気持ちを「認める」心を持つことが前提になる。従って、結果として行動が失敗に終わっても、次にやればいい、失敗を生かすという気持ちを消さぬことだ。そういう柔らかな包み込みこそが、子どもを安心させ、部分的であっても光射す方向が見つけられるのではないか。


 真正面から向き合わない方が子どもも教師も楽になる、という見方もある。また「チーム」という言い方の裏には、常に見える分担をして共同作業で詰めていくことを求めていたのではないかと反省させられた。当然ながら教育の課題に対して即効性ばかり求めていては、非常に底の浅い取組で終わってしまう。そういう指摘にあふれた、読み応えのある対談だった。