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私たちは「あわい」を生きる

2018年08月28日 | 雑記帳
 『図書』8月号の冒頭に「旅する兄妹」という対談が載っていた。原田宗典、原田マハの二人の作家で、どちらにも親しみはないが名は知っている。その話で久々に出逢ったと思う言葉があった。「フィクションとノンフィクションのあわい」。「あわい(あはひ)」という語は、苦手な古文の授業で目にしたのだと思い出す。


 対談中の言い換えとして「ちょうど間ぐらいのところ」「狭間みたいなところ」という表現がある。単純に「」で差し支えないが、新辞典を購入した手前、少し気になる。『現代新国語』は「(二つのものの)あいだ(古い言い方)」。『新明解』は「(東北から中国・四国地方までの方言)①境界(の地帯)②あいだ」とある。



 これでは何か物足りないと『日本語大辞典』を出してみた。「①あいだ・すきま②あいだから・交際」とある。少し範囲が広がっている。では、と電子辞書で調べると結構詳しい。広辞苑によると「①物と物、時と時のあいだ。すきま。」の他に、「衣装の配色や人間関係」「おり。都合。形勢」と、どんどん拡張している。


 もともと「あはひ」という古語で、その文例は豊富だ。現在の使用頻度は下がっているが、実に日本的な語ではないか。「色の取り合わせ、調和、配色」であれば、和装の着合わせや盆踊りの端縫い衣装にも当てはまるし、それ以上に日常生活の中で、私たちが大事にしかつ支配されがちなのも「あわい」ではないか。


 季節の移り変わりや一日の流れもそうだ。結構「あわい」と考えられることに目をつけている。仕事と家庭生活の切替も差はあるが、たいていの場合、時間的にも空間的にも「あわい」は生じている。大なり小なり「あわい」を上手くしっかり意識し、充実させることは大切だ。この世も、所詮「あわい」なのだし…。