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失敗の数だけカットバン

2018年08月04日 | 読書
 著者が「失敗学」の権威であることは知っていた。ビジネス雑誌などで文章を読んだこともある。この新書を読む前、ふと「失敗の反対語は?」と呆けた問いが浮かんだ。「成功」と思い出すまで考えたのは、「失う」「敗れる」の逆だから「得勝」…そんな熟語はない。だが、失敗の対語範囲は、結構大きくはないか。


2018読了74
 『回復力 失敗からの復活』(畑村洋太郎 講談社現代新書)



 何を失敗と考えるかは、成功の基準を何に求めるかで大きく変わる。自分が関わってきた初等教育の場で、「成功」とは何かを考えること自体難しい。判断する内容はきっと何層にも分かれるだろうし、そして真の意味で客観視が困難とも言える。現状のみを細分化して評価することが精一杯で、その範囲の話に留まる。


 この著には、失敗に負けないために何をしておくべきか、失敗した時どんな方法があるか、どんな対処がいいのかなど、かなり当事者目線に立って書かれてある。だから「逃げる」「他人のせいにする」なども、自分が「潰れない」ための手立てとなると明記している。そこには人間の「回復」する力を信ずる心がある。


 その心構えは様々な場合に当てはまる。人間への深い信頼がベースにあるからだ。だから、ある会社の「隠蔽」工作を、「インチキのように見えますが、本質的な解決策を実行できないうちに形式的な処理を行うことを防止した、真の組織運営をした例」と紹介してある。それは「絶対基準」に照らしているからだろう。


 その絶対基準を「結局は『お天道様に向かって堂々と話せるかどうか』ということではないか」としたことに深く頷いてしまう。いかなる場合も本質、原点を忘れないこと。現役時代のあれこれを思い出すが、心の中で照らし合わせても恥はないなと思い嬉しかった。いやもしかしたら、忘れているのかもしれないが…。


 実はこの新書を中古書店で求めたのだが、手にとってパラパラとめくった時、何か挟まっていることに気づいた。しおりやメモ書きということはたまに合ったが、今回挟まっていたのは、なんとカットバン。あれええ「回復」のためにはやはり手当が必要ということか、絆創膏は何かの象徴、そういう役割は大事だ。