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落穂から可塑性復活?

2018年08月03日 | 読書
 ここ10年ほど、ほんのメモ程度の日記をどうにか(まとめ書きもありつつ)継続できている。それ以前は全く三日坊主の典型。数日前からその書き散らしたノート等を処分していたら、結構な「キニナルキ」も残っている。身辺雑記は用なしだがこちらはピックアップして転記する。


 「物質的なゴールの見定め」(倉本聰)


 「悪貨に駆逐される良貨は、実は良貨の偽者である。それの存在すること自体で悪貨を駆逐するもの。それが良貨の本物である」(むのたけじ)


 「正解を求める態度は、複眼的思考とは対極にある考え方」(苅谷剛彦)


 「柔らかさとは、変化の可能性の豊かなこと」(野口三千三)


 「言ってもどうにもならないことは言わない」(某氏・元同僚)


 「縛解一如(ばっかいいちにょ)」(木下竹次)
 (「縛るのと解くのは同じ」ということ。例えば、帯は身体を束縛する。しかし帯がなくては腹力がなくて活動自在にならぬことがある…)


 「大切なのは『心の変身』」(藤岡 弘。)


 「たまたま(安打を)200本を超えて打てたことと、計画的に200本を超えることには、大きな違いがある」(イチロー)


 これらをメモした頃はまだ40代後半。ネットのプロバイダー変更をし、「キニナルキ」というページの更新が出来なくなったから、日記にメモしていたのだろう。そのノートにつけた題名が「可塑性の権利の行使」。池谷裕二の脳科学に影響された題付けだ。可塑性、残っているか。