すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

リアルを伝えるための演出

2018年08月17日 | 雑記帳
 昨日はあるイベントで、写真家の本間さんからお話を聞き、少し実技のポイントなども教えていただいた。カメラは趣味といってもいいが、何年やっても技術向上は果たせず(結局、機能の進歩に頼りきり)足踏み状態なので、一歩脱け出したいと思う。しかし要は撮ることを楽しめればそれでOKと改めて得心した。


 カメラに品質の差があるように、とられた写真にも質の違いは当然ある。しかし「撮る」という行為だけをみれば、そこにプロもアマも大人も子どもも原点は同じだ。つまりファインダーかモニターを覗き、シャッターをきる。心地よい、心熱い景色をモノ化せよ。他者に伝えるという前に、自分の心が指を動かす。


 演習で、部屋の中のモノをテーマに撮った一枚。窓外に意外性を求めて(笑)

 SNS全盛期で画像・映像は氾濫しているのだが、撮る行為をそれだけ楽しいと感じている人が多いのだろうと、好意的にはそう解釈できる。ただコミュニケーション手段として使える気軽さは、あまり量が増えるとかえって重くなったり、煩わしくなったりするものだ。写真は、やはり空間的、静的な媒体だと思う。


 さて、「主役・たし算・ひき算」というキーワードから始まった講座では、ナルホドと思うことがいくつもあった。今まで無造作だった「」「」ということについても考えさせられた。また逆光の生かし方、簡易なレフ板の使い方などちょっとした知識があると、ずいぶんと作品に差が出る。やはり写真も演出なのだ。


 目の前のリアルを伝えるため、その感覚が見る人(自分も含めて)に届くためには技術が必要だ。どの世界にも共通するか。リアルを伝えるための工夫?として紹介されたハミダシ情報にはアララ!と思わせられた。「宿の食事の写真を撮影する場合、その食事にはほとんど味がついていない。」そうか、撮影には邪魔だ。