『集中力はいらない』(森博嗣 SB新書)を糧として、もう少し。甲子園が始まった。「本気の夏、100回目」が今大会のキャッチフレーズということだ。今日の選手宣誓の締め括りにも使われていた。昨日からの流れで考えれば、「本気」はどうも「集中力」と似通っている。そういうイメージが付きやすい言葉だろう。
「本気」つまり「まじめな心」(広辞苑)が求める価値は大切に違いない。同時に人間はいつも真面目ではいられない。ずっと本気だったら疲れてしまう、いや身体上、それは絶対無理であるとみんな知っている。つまり、緊張と弛緩、集中と分散を繰り返して生きているはず。とすると要は「けじめ」ということか。
いや、その「けじめ」という言葉も現状では何か、最初に集中ありきの印象をぬぐい切れない。そうではなく初めから「分散力」を鍛えようと考えてはどうか。頭脳も身体も一つである人間は、実は細かく見れば一つのことしかできない。つまり集中力など初めから備わっていて、その持続だけを求められているのだ。
著者は、人間の頭脳が生命の維持以外の様々なことを考えるようになった歴史に言及する。「目の前にあるものだけではなく、ここにないもの、別人のこと、未来のことなどを想像することができる」と書く。これはまさに分散する力ではないか。そして分担、協力することを覚え集団を形成し、余裕を生み出してきた。
社会の画一化に不満や不安を感じている人は多いのではないか。それはある面で「集中力信仰」に支えられている。連日報道される災害、不祥事などに対する反応も何かに集中していく傾向を見せる。そして異なる見解を排除する様相は顕著だ。何が大事なことなのか見極めていくために、もっと分散を意識したい。
「本気」つまり「まじめな心」(広辞苑)が求める価値は大切に違いない。同時に人間はいつも真面目ではいられない。ずっと本気だったら疲れてしまう、いや身体上、それは絶対無理であるとみんな知っている。つまり、緊張と弛緩、集中と分散を繰り返して生きているはず。とすると要は「けじめ」ということか。
いや、その「けじめ」という言葉も現状では何か、最初に集中ありきの印象をぬぐい切れない。そうではなく初めから「分散力」を鍛えようと考えてはどうか。頭脳も身体も一つである人間は、実は細かく見れば一つのことしかできない。つまり集中力など初めから備わっていて、その持続だけを求められているのだ。
著者は、人間の頭脳が生命の維持以外の様々なことを考えるようになった歴史に言及する。「目の前にあるものだけではなく、ここにないもの、別人のこと、未来のことなどを想像することができる」と書く。これはまさに分散する力ではないか。そして分担、協力することを覚え集団を形成し、余裕を生み出してきた。
社会の画一化に不満や不安を感じている人は多いのではないか。それはある面で「集中力信仰」に支えられている。連日報道される災害、不祥事などに対する反応も何かに集中していく傾向を見せる。そして異なる見解を排除する様相は顕著だ。何が大事なことなのか見極めていくために、もっと分散を意識したい。