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スポーツをボーッと考えるな

2018年08月26日 | 読書
 金農の吉田投手の姿を見ながら、我が子や孫に「どうだ、ボクもピッチャーやってみないか」と声をかけた人は、全国でどのくらいいるだろう。不肖ながら、私もつい声に出してしまった。そして数日後に立ち寄った書店で、この背表紙を見つけ思わず手にした。単純に感動もするが、すぐそれを疑い始めるへそ曲がり。


2018読了82
 『子どもにスポーツをさせるな』(小林信也 中公新書ラクレ)


 著者は今もテレビ番組などで見かけるスポーツライター。10年ほど前に著された内容だが、主張は変わっていないだろう。当然ながらこの書名は額面通り受け取る形ではない。前書きに記しているように「子どもたちにスポーツに取り組ませることを問い直し、見つめ直す」ことを提言した本である。考えさせられた。



 オリンピック至上主義のような空気は日増しに強くなっている。この新書はまだ日本が2016年の候補地だった時期のことだが、それから震災がありその後の20年開催決定を経て、この国のスポーツが歩む道への警鐘とも言える。何のため、誰のための五輪かは常に問い続けねばならない。不祥事の連続が警告している。


 それらの「」は報道で大騒ぎになるレベルに留まらず、広く国内の様々な競技の内部に浸透している。この本でもサッカー、ゴルフ、水泳など例を出しながらその実状を示している。同時に真摯にスポーツに取り組み、目的を外さない個人や団体の動きも紹介され、その対照が際立つゆえか、さらに考えさせられる。


 子どもにスポーツさせる理由は一律ではない。しかし「好きになる」という目的は必須だ。そのために指導者がどんな姿勢を貫くかは決まっているのではないか。学校教育であれ、クラブスポーツであれ、選手養成であれ変わりはない気がする。要するに「」になること。世間の「お金」の絡みを注意深く視ること。