すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

アルルカンに試される

2018年08月18日 | 読書
 「涼介は気を取り直し、オールを握った。水を斬る度に、夜光虫が光った。船の航跡が、無数の命の炎によって仄白く輝いている。」小説の結びの文章として典型的な表現と言えるかもしれない。読者いや少なくとも自分は、こういう情景への共感を呼び起こしたり、より震わせたりしたくて読むなあ、と頁を閉じた。



2018読了79
 『ピンザの島』(ドリアン助川 ポプラ文庫)

 久しぶりのドリアン作品。小説は名作『あん』以来かな。「ピンザ」とは、宮古島におけるやぎの呼称という。舞台は架空だがいずれ南方の小島である。ある目的を持ち島へやってきた主人公涼介の、いわば「生還」の物語だ。それは物理的に厳しい自然、現実をくぐる抜けることと、人生の浮き沈みがリンクしている。


 扉に記された印象的な詞がある。

 しななければ いきる
 しんでも いきる
 そう あわてるない
 あめふらしは うみのそこ
 いろとりどりのあんぶれら

      ―――遠い島のアルルカン



 この言い伝えのような詞の意味はなんとなくわかるが、「アルルカン」とは何を指すのか知らなかった。フランス語で「道化師」という意味だが、ピエロとは違う。アルルカンはピエロよりずっと悪賢く、「日常を引っかき回す」役割を持っているらしい。そんな目でこの詞を読むと、ずいぶん怖い印象がついてくるが…。


 そうなのだ。遠い島であっても大都会であっても、アルルカンはきっと傍にいる。そして日常を引っかき回す。思った通りにならないことなんて当たり前だ。しかし「そう あわてるない」と、もう一つの冷静な目で見ている。似たような事象であっても心身の処し方によって見え方は違い、行く手の希望も大きく違う。