日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

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・家庭菜園 ・ めばえ・成長・収獲

文京区7福神巡り・その1 ;付録

2020年01月21日 | 紀  郷土博物館 葛探団

 
  クリック、拡大   茗荷

文京区茗荷谷発祥地を探検す
  先ず・・駅前交番を訪ねた

 

文京区の茗荷谷と言う地名を知って以来、野菜栽培をしてきた者にとって、”現地を見たい”長年の夢でした。

茗荷と言う芳醇な香りの野菜があり、八百屋さんで売られている。長年の、知りたい訪ねてみたいと思い
茗荷谷を探検すべく早めに集合地へ赴いた。

先ずは駅前交番を訪れて聞くこと・・・・・!?たまたま老齢のベテラン警察官が居られて、
親切丁寧に教えてくださった。

『そこはね…拓殖大学の東門に茗荷谷の地名誌がありますから行って見なさい』と
親切丁寧に教えて下さった。

町名の由来Wikipediaより ↓

旧茗荷谷町は、小石川台地小日向台地の間の浅い谷が「茗荷谷」と呼ばれていて、
江戸時代茗荷畑が多かったからといわれております。

この町名は、この「茗荷谷」からとったものである。なお、現在は茗荷の本格的な栽培は行われていないが、
拓殖大学文京キャンパスの脇の小さな畑で、茗荷が栽培されている。

また、茗荷谷駅もこの町名から名付けられている。呼び方として、小石川區史にはめうがだにちょう(旧仮名遣い)
と書かれていた。


茗荷谷町会案内図


 拓殖大学キャンパス


 その1 茗荷坂、長いだらだら坂でした。茗荷谷駅に続く。(坂下から見る)


 その2、この坂を茗荷坂と呼んでいた(坂上から見る)


 古くは、小日向村の畑地であった。正徳3年(1713年)から町方の支配となり、茗荷谷町ができた。
明治5年に、金杉水道町飛地、旧大垣野村藩戸田淡路守屋敷、七軒屋敷は十二軒屋敷などの武家地を合併した。
また茗荷谷町は当時小日向神社の氏神地域に該当していた。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 
         地 誌 板              クリック拡大


 写真で見える左の家の奥さんが裏口から顔を出した。尋ねた。
『この地は現在、拓殖大学の管理地で、茗荷の栽培もご覧の通り腐葉土を入れ栽培しています。時期になりますと茗荷が繁茂して、地下から沢山のかわいらしい茗荷が顔を出します』と教えてくれました。



 季節になるとたくさんの茗荷株が…

 

≪茗荷谷地名の探検。
頭に描いていたイメージがズバリズバリ功を奏して探検団よろしくラーキーでした。
集合1時間前の現地探検goodでした。
多くの人の親切に支えられた地名誌調べでした≫

 

 

OPEN

次回7福神巡りです。

 

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文京区7福神巡り・その1

2020年01月20日 | 紀  郷土博物館 葛探団

葛飾探検団

深光寺(えびす 徳雲寺(べんざい天)


番号順に回ります

恵比寿駅前➡東京ドーム

①恵比須 深光寺 ➡  ②弁財天 徳雲寺 ➡  ③弁財天 極楽水

④寿老人 宗慶寺 ➡  ⑤布袋尊 真珠院 ➡  ⑥大黒天 福聚院

⑦毘沙門天 源覚寺➡  ⑧福禄寿 東京ドーム

 

小石川七福神は、平成7年に始まった比較的新しい七福神です。

地下鉄丸の内線の茗荷谷駅後楽園駅との間なので、ゆっくり歩いても2時間ぐらいのコースです。

 手術後初めてなので慣らし運転、やはり少々疲れました。

 

 

深光寺

まず、茗荷谷駅を左手に出て丸の内線のガードをくぐり、拓殖大学の方へ坂を下りましょう。
大学の前に深光寺(小日向4-9-5)があり、本堂の前に恵比寿様が祀られています。漁業と商売繁盛の神様です。
本堂の左手には、南総里見八犬伝などでおなじみの滝沢馬琴のお墓もあります。


深光寺➡寺の名前はなぜ!?考えた。
ここは茗荷谷と言う谷底で、南に面した斜面。日当たり良好!。
坂を上がり、そして鐘楼・本堂付近は日あたりまさしく良好光がサンサンと輝い奥深く差していた。
縄文人、坂道を登りながら考えた。≪深い光の寺。日当たり良好➡深光寺≫

 


鐘 楼


南総里見八犬伝
千葉県代表するさとみはっけんでん歴史物語として有名なのが「南総里見八犬伝」です。
物語はフィクションなのですが ... また城が位置する城山公園は、桜の季節になるととても美しく、県内でも有数のお花見スポットとなっています。
また館山城は山の上にある 
...


滝沢馬琴の墓


・紅梅や
       鐘楼柱
                 支え咲く  (縄)



梅枝を見返り行けば茗荷谷
             温を包みて蕾膨らむ  (縄)



「茗荷谷」の地名の謂れについては、
あらためて項を設けてUP
いたします.

 

 

 



徳雲寺

深光寺を出て左手に道なりに進むと丸の内線のガードをくぐります。
そこで左手の藤坂を上り春日通りに出て、すぐ左手に徳雲寺(小日向4-4-1)があります。
道から入って左側の六角堂にに弁財天が祭られています。財力,商売繁盛の神様です。
こちらの弁天様はとぐろを巻いた蛇で、顔は男顔でした。


敷石の参道歩めば徳雲寺

             時に根性そして養生  (縄)

蠟梅に香り絆され静態す (縄)

 

茗荷谷駅あれこれ

 

 葛探が今日も行く往く初歩き
             文教都市の七福神へ (縄)

 


 此の案内人、何だか分かりますか!?
そうです、センター試験会場2日目が「拓殖大学にて」も行われました。



やり切った総てを出した結果待ち
    笑顔こぼれる桜と共に (縄)

 

 

締めています。

 

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ボランティヤ活動 (葛飾区郷土と天文博物館)

2019年05月16日 | 紀  郷土博物館 葛探団

 葛飾探偵団、定点「立石」 

展示画像・パネルの撤収 (5/1 1)

 

 

 

およそ1ケ月間の展示を終り、5月11日(土)撤収作業を行った。

およそ2時間で作業は終了した。

 


 作業開始前の撤収作業の手順について説明


 立体画像と一般展示


 撤収前の画像パネルの展示


  3Dカメラを回し、立体的画像に仕上げた。


画像パネルを取り外しました。


大型展示壁を撤収して1ケ所へ収納

 


  作業終了茶話会・お疲れさん会

 

 

 

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高射砲台座跡、建築現場から

2019年05月12日 | 紀  郷土博物館 葛探団

砲台跡出現
葛飾区白鳥3-10-10



 

葛飾区白鳥付近は、高射砲陣地の跡であった、と言うことは
すでに以前に書きました。


こちらをお読みになり全体像を掴んで下さい。

 


建築法による掲出標

 


現れた砲台跡





砲台の中心基軸にに円型の穴が見えました。
此処を基軸にして360度回転したのでしょう。


 葛飾探検団の面々現地見分。

 


高射砲とは

 

 

以前に詳細に記してありますので、今回は、砲台跡が出現したことだけを記しておきます。

現場近くの友人Aさんから連絡を頂き、又博物館でもこの話が出て現場を訪れた。

白鳥3丁目のAさん連絡ありがとうございました。

 

 

 

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「「立石」冊子完成 その2

2019年04月12日 | 紀  郷土博物館 葛探団

 

 

 昭和を色濃く残す商店街(アーケード)
大きく変貌する立石再開発・文章と画像で残す

可豆思賀 7号

 

 

 

 

 
立石、冊子

 

冊子表題 ・可豆思賀 とは

「万葉集」に山辺赤人が真間の手児奈のことを詠んだ歌に見られる「かつしか」の表記から名づけられました。
 (過勝鹿真間娘女墓時」から始まる歌には、「井短歌 東俗語云可豆思賀能麻乃互胡」と注が付けられています。この(注)によりますと「かつしか」というのはどうやら都人の呼びかたで、
東国「かづしか」と呼んでいたことが記されています

 

 

 ◎ 京成高架・変わり行く風景

   今まで見慣れた風景が大きく変貌する。京成電車・四つ木~青砥間の立体交差事業(2,2km)が本格化してきた。
踏切11ヶ所も消え電車が高架化される。
  本班は、京成立石駅を西の端から東迄平面撮影し、駅にあり外観的に見えるものは大パノラマ化して映像に残し、
その多方向から撮影して保存に努めた。
  立石駅は、大正12年に開業、1日の乗降客はおよそ4千人、京成全駅69駅の10位を占めています。

 



↑ バス大通りから商店街を撮る         ↑ 踏み切り、標識などの配置場所を期した一覧表

 


↑ 京成立石駅を大パノラマ化した。

 
京成立石駅

 

 

 

 ◎ かって立石に縁日があった

 

  バナナのたたき売り、金魚すくい、綿アメ等が裸電球の下で夜店に並びました。
昭和30年代~40年代には戦後の復興期・高度経済成長期には立石縁日も大盛況でした。
しかし世の中の推移発展、特に自動車の発達には目を見張るものがあり交通の妨害やら様々な影響で、
子供たちの楽しみであった縁日も昭和60年ころにはその幕を閉じた。

 

 
↑ 左ページ 縁日が出店した地域       ↑ 右ページ 喜多向き観音と縁日(発祥)

 

 
↑ 喜多向観音が縁日発祥処と言われます。

 

 

 ◎ 葛飾区役所の変遷

  葛飾区は昭和7年に誕生して以来、区役所は一時的避難を除き、3回移転して現在の立石に所在します。
また立石再開発に伴い区役所も立石北口が最終候補地になりました。
この変遷を紐解いたのが区役所移転物語です。葛飾区は昭和7年当時葛飾区域が属した南かつしか群など
周縁の6郡20区分して、東京市に加わることとした。


初期の葛飾区庁舎

 



↑ 庁舎の移り変わりとその時の物語


現在の葛飾区役所

 

 立石商店街(アーケード街)はシャッター街として、その商店力の機能を全く発揮していない。

これらの要因には数々のことが考えられますが、そのことはさておき今般見てきた考点からは1日も早い再開発が望まれます。 

立石駅前周辺再開発という大きなポロジェクトは、京成線の高架が完成しその上にビルが出来る(駅ビル形式)

ことから高架事業の完成が待たれます。

 

 何か感想を頂ければ幸甚です


 
参 考 ➡  ≪カテゴリー、紀 博物館、探検団≫をクリックしますと、
過去の一連の活動が掲載されています。

 

 

 

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「「立石」冊子完成 その1

2019年04月12日 | 紀  郷土博物館 葛探団

 


 昭和を色濃く残す商店街(アーケード)
大きく変貌する立石再開発・文章と画像で残す

可豆思賀 7号

 

 

 

平静も終わりまもなく「令和」の時代がやってくる。葛飾・立石地区が熱い。

昭和の雰囲気を色濃く残す、立石仲見世商店街(アーケード街)、立石駅周辺が再開発の計画が着々と

進んでいます。葛飾区・郷土と天文博物館・ボランティヤ「葛飾探検団」は、そのままのを残そうと

3Dカメラによる立体画像、通常画像、文章により冊子の編集の地道な努力を積み重ねてきました。

その冊子が完成し会員の手元に届きました。

画像パネル展は、郷土と天文博物館で開催中です。

お近くの方は是非足を運んでください。

 

 画像パネル博物館展示 

 


 A4 40ページの冊子

 

       冊子の構成
          〇 立石仲見世のいま
          〇 変わる立石 支える職人
          〇 京成高架 変わりゆく風景
          〇 かってた立石に縁日があった
          〇 葛飾区役所の変遷

        探検団員は、この中のどれかに所属し調査研究や聞き取り等の作業に
       従事し
ワーキンググループにて報告がなされた。

 

〇 立石仲見世のいま


  関東学院大学建築・環境学部の協力を得て、3Dカメラを仲見世全体を撮影した。
その画像は立体画として展示したり冊子にも掲載しました。

アーケード街は2本ありますが、西の四つ木寄りのアーケードは、シャッタ街と化し
寂れてしまいました。アーケード街こそ再開発が待ったなしです。
頑張っているお店はほんの僅かです。

 

 

 ここ仲見世アーケド街は、ここ取っ付きの数軒しか店は開いていない。
後は開かずのシャッター店です。再開発が待たれる典型的な商店街です。

 


3Dカメラによる立体画像。屋根に登ったり、裏方に回ったりして
関東学院の皆さんにはお世話になりました。

 

 

〇 かわる立石 支える職人
  

  農業・工業・伝統産業・商業スポットを当てて調査した。葛飾区認定製品販売会・葛飾ミライテラスに焦点を当てて
調べ始めた。また葛飾丹家団員の知っている事業所にお長居し協力を得た。
なかでも「八重樫打ち刃物製作所」「松井型紙店」は葛飾区でん奥羽産業に名を連ねて

 

調査に当たった会社・商店とその聞き書き内容です。

 


聞き取り調査をお願いした企業様。
お忙しい中を協力有難うございました。

  
八重樫打ち刃物伝統工芸作業場

 

                                     その2に続きます

 

 

 

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『立石再開発』展示飾り付け終る

2019年03月25日 | 紀  郷土博物館 葛探団

 


消えゆく立石の再開発・ありのままを保存しよう

画像の展示(写真)と冊子編集(文章)によって

≪葛飾区探検団≫



葛飾探検団員の皆さんが、

23(土)、24(日)の両日のボランテイヤ活動にて展示が行われた。

各班思考凝らして内容を充実しました。

下段は、その展示準備飾り付け中の様子です。


[ 各班の取り組み内容」


                 1班 立石周辺の踏切、更地、京成電鉄の変遷、
      
         2班 立石仲店(アーケイド街)を3Dスキャナーで撮影、図面を作成。
      
         3班 地場産業の現状、個別の聞き取り調査
      
         4班 喜多向き観音と縁日
 (我この班で活動しました)

           5班 葛飾区役所の変遷


 

 
葛飾区郷土と天文博物館 ➡ 展示会場

 

 


 
立石定点観測ポスター (1)

3月31日(日)~5月6日(月)迄催行されます。

 


 
立石定点観測ポスター (2) 

 


 
3Dカメラによる立石仲見世マーケットの立体画像 (関東学院大学黒田研究室協力)

 



上に同じ 

 



 立石仲見世通り (1)

3Dカメラで写真を撮り、画紙を分解切り立体的に組み立てたものです。
[ミニチャヤ模型」

 



 仲見世の飲み屋(2)

 これも3Ðカメラによる画像紙を切りはがし、立体画像に組み立てたもの
「ミニチヤ模型」




 呑んべい横町(3)

 3d画像、上に同じ、立体組み立て画像
「ミニチャヤ模型」

 

画像展示

飲みや『宇ちだ」

 

 



立石仲見世商店街70周年、商店街から借用しました。

 

江戸打ち刃物

 

画像飾りつけの様子

 

 葛飾探検団員、並べの順序検討中

 

 

 此処のコーナーは葛飾区役所の変遷について

 

飾りつけけにつき思案検討中


 『葛飾柴又の文化的景観』の展示パネル終了後

およそ1年かけて取り組んできた、「立石再開発により消えゆく街を画像や、

文章で残そう」を、始めてからおよそ1年が過ぎた。

ここにパネル展示という節目を迎え、ほぼ出来上がった。

あとは冊子の編集、印刷を残すのみとなりました。


 


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葛飾・立石再開発、今の現状を図面と画像で後世に・・。

2019年02月05日 | 紀  郷土博物館 葛探団

 

探検団の中味の詰まった報告会
”立石”は葛飾の

 

  冊子(可豆思賀編集   と企画展へ向けての総括            
  

                                                             

 昨年8月から始まった調査は、皆さんのたゆまざる努力により、調査・班会合・班長会議を重ねてきました。

現在は冊子のアウトラインが整い、編集への急ピッチ、これと並行しての天文博物館にて企画展の準備も進んでいます。

そのアウトラインの概略の発表が有りました。
  

=取り組み内容と概略説明=


         〇 立石周辺の踏切、更地、京成電鉄の変遷、
      
         〇 立石仲店(アーケイド街)を3Dスキャナーで撮影、図面を作成。
      
         〇 地場産業の現状、個別の聞き取り調査
      
         〇 喜多向き観音と縁日
 (我この班で活動します)

         〇 葛飾区役所の変遷

 

各班の画像による発表内容

 


調査発表に聞き入る探検団員


立石駅を横からパロナマ風に撮影


高架下のどぶ川の遺跡


縁日、奥戸街道


現在の庁舎建設途上


昭和12(1937)年に落成した葛飾区役所新庁舎

 


3dカメラにより撮影

画像の明瞭度、明暗、感度が悪いためほんの1部のみの画像となりました。

 

 


近未来の立石完成予想図と解体される呑んべい横丁


 


消えゆく立石駅 

 

 
呑んべい横丁

  
      呑んべい横丁と、解体の進む横丁(旧赤線地帯)

 

 open

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柴又七福神めぐり

2019年01月26日 | 紀  郷土博物館 葛探団

柴又七福神巡りで学ぶ葛飾の正月と文化

葛飾区民の参加者 & 案内=葛飾探検団員、コラボ

 

 

 

 



  企画展(葛飾区郷土と天文博物館)家内安全、商売繁盛~厄除けと承服の縁起物」にちなんで柴又7福神を巡り江戸時代から続く民間信仰の歴史を学びます。

日時・1月20日、AM9,30~正午

集合/京成高砂駅。解散/新柴又駅。

参加者/葛飾区民参加者20名/葛飾探検団。

◎     葛飾探検団員の会長を中心として、現場説明の高田氏が各寺で縁起やエピソードを
楽しくユーモアを交えながら語られ説明された。
 40余名の大勢の為に交差点での交通事故防止のために交通整理を行い、事故の無いように努めました。

                   
 30年12,5号「かつしか]広報掲載された案内

柴又7福神とは
 柴又七福神とは、寅さんで有名な東京の葛飾柴又周辺にある7つの寺院を巡るものです。
都内の殆どが七福神巡りがお寺と神社の両方を巡ることが多いのですが、柴又七福神巡りは、
すべてがお寺です。
下町の風景・風情を楽しみながら巡り、散歩感覚で回ることができました。

 

1、京成 高砂駅集合

 博物館・堀学芸員の挨拶に始まり、葛飾探検団会長の寺島氏、現場進行役の中島氏からの諸注意が
あり7福神を目指して出発です。
(葛飾TV/j・comさんが帯同し七福神巡り一部始終を撮影)


高砂駅
一般参加者&葛飾探検団


京成高砂駅駅から➡新柴又駅解散

 

2、寿老人(観蔵寺) 天祖神社境内を抜け 


天祖神社境内を抜けて

 

 
珍しき火の見櫓発見、 昔は火の見櫓に半鐘、現在119番


懐かしきかな火の見櫓

 
天祖神社本殿の造り

  寿老人縁起
  杖を突き長い顔が寿老人。長寿延命の神様です。
探検団員の説明員、高田さんの古きを交えながら、寿老人について説明された。
高田氏は根っからの葛飾人で、子供のころとは環境が全く変わってしまいましたと
現在の道路事情や住環境を、驚きの声で説明されていた。


     

一般参加者Aさんの話(参加の動機

 私は(女性)、鹿児島出身で東京に住んで13年、そのうちの3年葛飾・金町に住んでいます。
葛飾は寅さんで有名、そして大きな川を配して、人情が厚い下町です。
自宅と勤め先の往復だけで、人情のまち葛飾をもうちょいと知りたく、そんな動機で参加しました。
これから先、まだまだ葛飾にお世話に成るのでよろしくお願いします。 


この道路は水道道路です。柴又2丁目付近。
真っ直ぐで全く曲りがないです。金町浄水場から、都心への水道本管が埋設されています。


柴又八幡神社。
前方後円墳遺跡があります。毎年10月に獅子舞が行われます

3、布袋尊(良寛寺)

 復路を携え笑っている布袋尊、総てを抱擁する、和合の神様。

 
良寛寺布袋様   

 
人の考え方が、世間の浮き沈みを左右するものです。

 
京成柴又線、かって柴又参拝の人力車列車が通っていた。

 
都民の水がめ金町浄水場です。

             

 

4、 弁財天(真勝院)

 




鐘楼と無縁仏

 

5、題経寺(毘沙門天)

 正月20日とあって、帝釈天参道境内は沢山の人出でした。
高田さんの説明によれば、庚申は仕事を終え夕方から提灯を付けて詣でる人が多かったと、
幼少期を思い出すように語っていた

 
帝釈天に向かう参加者&探検団員

 
帝釈天境内にて高田さんの説明。 

 
   読経寺境内の手水処。
東に江戸川が流れているためにこの地は地下水が高いです。


門前参道にて


庚申日に帝釈天に向かう、むかしの姿。
提灯をぶら下げて向かう姿が印象的です。

 

6、 万福寺(福禄寿)

 この寺が7福神の中で最も新しい寺院です。かっては此処は高台(標高差10m程)ありました。その山の天辺を中心として、四国霊場88ヶ所の、石碑が沢山あり、四国まで行かなくてもここでお参りが出来たそうです。当時はそれだけ巡礼が盛んであったようです。
 しかしいつの間にか山が平地になり御寺さんが建立されていました。


万福寺境内
建物の白壁にカメラがあります。
このカメラは唯一葛飾区内のライブカメラ(中継)・≪黄色丸≫だそうです。
(葛飾・万福寺・ライブ検索)

 

7、大黒天(宝生院)


水仙が庭一杯咲き乱れていた。

 

  浅間山噴火川流溺死者供養碑
  天明3年(江戸時代)の浅間山の大噴火は関東一円に大きな被害を出しましたが、溺死者が江戸の柴又まで流れてきて供養したことは知りませんでした。歴史の重さを感じました


浅間山噴火川流溺死者供養碑の説明

8、 恵比寿天(医王寺)

  縁起
  
右手に釣竿を持ち、左手に鯛を抱えている。
猟衣姿の、恵比寿天は古来日本の神様で、航海や魚業の神様です。
現在は商売繁盛も司ります。

                医王院山門

 
柴又七福神朱印帳

 


無事終了の挨拶

 

一般参加者、区民からの声
 ① 説明員の方が、昔と現在を対比しながら話されたのが、とても良かったです。
  この辺はそんな景色だったのかと風景を思い出しながら聴きました。
 ② ゆったりと時間を掛けて歩いたので、年寄りにも安心して付いて行くことが出来ました。
  有難うございました…と、感謝の言葉を述べていた。
 

  お腹も空いて来た、終点の医王院です。
ゆったり歩いたので所要時間2,30分、約7,000歩の歩程でした。
天気良し、寒くもなく絶好の七福神巡りでした。皆さんお疲れさんでした。   (完)

 

OPEN

 

 

この記事は葛blog&飾探検団機関紙と併用しています。

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変貌する立石

2018年12月19日 | 紀  郷土博物館 葛探団

立石再開発する今を記録する

 

 

再開発事業の主体は葛飾区ではないそうだ!

事業主体は地権者を中心にした「組合」で、区は権利や金銭的な面を

サポートするという立場らしい。


基本的には組合に加入している地権者を中心に話が進み、

大手のディベロッパーが事業協力をする。

計画書を見ていたら上記のような内容が書いてありビックリした。

とは言うものの葛飾区が先導しなかったら事業は進まない。

 

 

近未来の立石周辺区域


葛飾探検団、中央付近で3Dカメラを回す


 

 

『葛飾探検団』が変わりゆく立石を記録する。

  過去に立石駅近辺について、葛飾探検団の断片的な取り組みを紹介しました。

ある程度方向性が定まりその実施・調査を終えてまとめの段階に入った。

立石再開発のカテゴリを調査分析に当たっては、項目別に列挙して

会員が自由にテーマを選び、ブロック別に活動を行います。

 

1班ー立石駅について多面的な考察

  2班―立石仲見世の3D撮影による保存

          3班―立石駅周辺の産業と工場の変遷、聞き取り調査

  4班―かつてバス通りに縁日があった

               5班―葛飾区役所の変遷 (本田小学校付近に庁舎があった)

    〇 各班毎に査・研究をしこれを纏めて「可豆思賀 7」を冊子を発行する。

     〇 冊子発行後郷土と天文博物館にて展示閲覧できるように写真を整理し
   キャプションを付けて、展示の準備に入る。

 

 
京成立石駅


京成立石駅改札口


仲見世アーケイド商店街

  
仲見世商店街(シャッター通り)               呑んべい横丁(半分は壊された)

                現在の区役所、立石駅周辺出来るビルに移転します。

 

 

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