石間(斜面にへばり付く)、奥へ奥へと
石 間 部 落
ここ石間は奥へと進むと、百名山(城峰山)に通じ、その先は群馬県です。
ここは旧吉田町の石間地区。石間は「秩父事件(石間交流学習館)」の原点とも言える場所である。
行ってみれば「なるほど」と思う人も多いと思う。山の急斜面にへばりつくように民家がある。
昔に比べれば今は道が良くなって、車がずっと山奥まで入っていけるが、明治の頃は人一人が通るだけの
細い道だけだったはずだ。
耕せる場所は本当に猫のひたいのような場所ばかりで、養蚕がこの地区の人々にとって最も大事な収入源であったろうと
容易に想像できる。その養蚕がやっていけなくなったのだから・・・。
ここは私の家からだと比較的近い。車なら30分くらいで行ける。なのに私がここに初めて来たのは
25年前くらいが最初だった。
秩父は山々に囲まれていて、あまり人の入らないような山間、沢沿いのが無数にあるのだ。
私のまだ知らないそんな場所がまだあるかも知れない。
県道37号線(皆野両神荒川線)に別れを告げ石間へと入る
「石間交流学習館」の看板あり。
道路は石間川に平行する1本道
山間部の道路としては整備されていた唯一の生活道路
奥の山峡は霧が立ち込める、晴れる証し!?
階段状に建つ石間
”山の神”であろう?大きな石の上に祠
主要道路から入る自宅への道路
水車小屋の水路
観光用であろうか、水車小屋の佇まい
丸太を加工した標識がにらみを効かす!
中山間地域とは
平野の外縁部から山間地に至るいわゆる中山間地域は、経営耕地面積、総農家数、農業産出額で全国の
約4割を占めるなど、我が国農業・農村の中で重要な地位を占めています。
中山間地域は、河川の上流に位置し、傾斜地が多い等の立地特性から、農業生産活動による国土の
保全、水資源かん養等の公益的機能の発揮を通じ、全国民の生活基盤を守る重要な役割(いわばダムある
いは防波堤の役割)を果たしています。 (言葉バンクから引用)
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