新聞記事を見ながら~一句詠む
▲ トランプさんの大胆、発言に振り回される、
各国の首脳達はどう対応しどう思っているのでしょう。アメリカ経済が、
大きなクシャミをし超安値を示した。
▲ 東日本大震災から11日で14年が過ぎた。
地震が発生した午後2時46分には、各地で犠牲者を悼む黙祷が行われました。
NY株一時1100ドル超安
トランプ氏発言で米景気に懸念 日経平均、一時1000円超安


新聞記事を見ながら~一句詠む
▲ トランプさんの大胆、発言に振り回される、
各国の首脳達はどう対応しどう思っているのでしょう。アメリカ経済が、
大きなクシャミをし超安値を示した。
▲ 東日本大震災から11日で14年が過ぎた。
地震が発生した午後2時46分には、各地で犠牲者を悼む黙祷が行われました。
母は、働き抜いた~~。
モロコシ饅頭作り
右は母(83歳の頃)と左は隣家の人、自宅の縁側にて。
聞き書「埼玉の食事、(秩父山地の食事)」本の取材時の写真、19991年時
五行歌
農耕 養蚕
母よルーツを教えて
縄文人・作
「江戸川コラムの集い」から抜粋。
コメント欄は開けています。
柴又・山本邸の庭・雪つり
雪吊り(ゆきつり)は、冬季に雪が
付着することで、樹木の枝が折れないように縄で枝を保持することです。
東京地方の雪つりは、どちらかと言えば庭の装飾、
「此の庭に立派な松の庭有ります」的なところがあるように思われます。
本来の雪に対する役目はあまりはたしていないようです。
しかし、この雪つりが有りますと、庭全体の風格が一段と豪華に見えます。
あの天辺から傘の骨の様に整然と張られた縄は見事です。
に
柴又帝釈天裏手にある、山本邸の見事な庭の雪つりです。
雪吊や 雪なきままに 終わりけり(縄)
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江戸川コラムの会
「せせらぎ・作品集」
「せせらぎ」・江戸川コラムの集いから抜粋
このコラムは、「江戸川コラムの会」と言います。
作品はかって、会員の時に書いものです。
会は朝日新聞論説委員の轡田先生 の指導の下、江戸川区生涯学習の中から生まれた
文章を書きながら、世の中の動きを勉強し語りましょうと言う会でした。
お題が与えられ作文し、先生の推敲を得てコラムが完成し、
年に1回冊子を発行することでした。
「カウンターのある酒場」は、”お酒屋さんの店先の立ち飲み”=(角打ち)
を凡人(縄文人)がリアルに描いたものです。
お店に入ると「いつもの下さい」から始まる!
「カウンターのある酒場」
縄文人・著
角打ちで 飲んで心は 丸くなり
仕事帰りや 足取り軽し(縄)
(角打ち=酒屋の一角を飲酒スペースとして
仕切って立ち飲みすることを指します)
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散歩道の白い椿
木編に春と書き ➡ 春が来た~✖
散歩道 通り抜けしや 白椿 (縄)
3月7日撮影
_________________________________________________________________
木へんの漢字
木のつく漢字は何百とあります。
木へんに春と書いて「椿(ツバキ)」、夏だと「榎(エノキ)」、冬だと「柊(ヒイラギ)」、では
木へんに秋は何の木でしょう?「楸」この字は何の木?
森のことば、人気クイズ (答えはくイックして下さい)
木編つく 漢字をいくつ 書けたやら (縄)
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土手の萌黄色
蕗の薹・ヨモギ・ノカンゾウなどが土手に元気よく!
まさに三寒四温とでも言うのであろうか3月に入りて、
雨や雪とぐずついた天候でした。
昨日は、朝から晴れ渡り久しぶりに青空を眺めた。
そんな天候に誘われて散歩に出ましたら、枯草の土手に蕗の薹が頭をもたげ
一気に伸びて萌黄色がまぶしかった。
ヨモギ、ノカンゾウがあちこちに芽吹いていた。
陽だまりの個所にノカンゾウ
蕗の小さな葉っぱが芽吹いていた。
大分頭をもたげ茎が伸びていました。
餅草も伸びていた。
蓬摘む 青空仰ぎ 土手に座す (縄)
蕗の薹 花開き気味 萌黄色(縄)
新金線奥戸踏切り
新金貨物線の土手 3月7日撮影
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細田公園の花
葛飾区花いっぱい運動
身近な緑の創出と、街並みの景観及び美観の向上を図って居ます。
区内の公開性の高い公有地などで、花いっぱい活動を行っています。
葛飾区役所にて苗を配布し、各町会の有志、各種団体等が花壇を管理しています。
「葛飾花一杯コンクール」を行って、活動を盛り上げています。
朝の顔 ラジオ体操 花が咲き (縄)
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能登の生命力が宿る
輪島塗の魅力、頑張れ!!
インタビユー記事で「赤木さんの言葉に」
引き付けられて・・・・・。
・・・会場に並んだ、お椀や重箱、大きなお盆を見たとき物なのに、
”物を超えた生命力”を感じた。
お椀なのに口がついていても話し掛けてくるような、重箱があぐらをかいて腕を組み
こちらをギロッと見つめている生き物のように見えた。
此れは漆というものが凄いのか、輪島塗作家の匠が威すごいのか・・・良く分からないけど、
とにかく迫力に圧倒されました。
_________中 略_______
災害の後ですが、輪島塗を残さなければという意識が有ります。
災害で町はメチャメチャに破壊されました。
僕は器を作って居ますが、家も器、街も器だと思うのです。だから器を作る
仕事を拡大して、街並みや景観を作り直したい!
人と自然の関わり合って生まれた能登の工芸、自然の景観を
未来につなげたい。
NHKラジオ深夜便3月号
輪島塗の魅力のインタビユー記事
工房の前にて
自然の中に身を置くと色々のアイデイヤが蘇ると言う
窓辺に制作中の漆器が並ぶ、器の呼吸が聞こえてくるような…
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葛飾区鎌倉に「かなえ通り」という道があります。
かつてのかなえ通りは上下之割水(小岩用水)が流れていた水路敷でここには
鼎橋という橋があったようだ・・・。
京成本線の踏切を見守るように、≪鼎地蔵≫があります。
今は水路は無くなり「かなえ通り」が面影を残すだけです。
造立年は安永6年(1777)9月とある。
鼎(かなえ)地蔵の歴史を刻んだ石碑
道標・1777年
地蔵堂建立・1663年なる文字もある。
左に行くと、矢切の私と書いてある。
地蔵堂の内覧
踏切わきに建つ
地蔵尊を後方から、京成本線です。
右渡し道、奥戸の渡し~あり。
_______________________________________
左と右が同型な漢字、~~チョイと寄り道
興味をそそる字です、「かなえ」
鼎は、かなえ(三本足さんぼんあしで耳みみが二ふたつある器うつわ)
などの意味を持もつ漢字です。
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三寒四温
冬に戻りし雨と雪
3月3日(月)、東京地方冷たい雨や湿った雪が降った。
気温が急降下して真冬のような寒さとなた。
前日の暖かさに、下着を剥がしオウ~寒し・・・!
お雛様も身震いしていた。
五 行 歌
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中川の川岸で遊ぶ
奥戸スポーツセンター付近
「奥戸グランド」付近は多くの人たちが集まるので、
それなりに整備されています。
散歩道、休憩所、標識類がそれなりに整っています。
休憩場所にてそよ風に吹かれながら、かつしかの歴史を学んだり、
白い鳥たちと戯れ、中川を上下する船を見ながら腰を下ろし休んだ。
川岸の休憩場所、学び処
奥戸橋と作業船
土手を散策する人あり
鳥さんたちの「右へ倣え」
奥戸橋
土手の鳥
今昔の この邊にして 春の川
川の歴史を しかと受け止め (縄)
コメント欄は開いています。
今年第2弾
春ウララ スクスクすくと 蕗の薹 (縄)
近くを走る新金線の土手
土手の蕗の薹ぐんぐん伸びて!
こんなに採れました
蕗味噌にして瓶に保存しました
蕗味噌を舐めてふるさと山思う (縄)
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葛飾鎌倉憩い交流館
交流館の庭に咲いていた水仙
葛飾・鎌倉図書館近くの「かつしか憩い交流館」に初めて立ち寄った。
自治町会の打ち合わせや講習会、学習、健康体操、介護予防など、区民の皆さんが
お互 いの交流を深める場としてご利用できます。
奥の方では、ご婦人の方達が、料理教室に余念がなかった。
水仙や 凛と咲きたる 憩い館 (縄)
運動場の奥が「鎌倉憩い交流館」
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葛飾奥戸スポーツセンター
人の居ないグランド~気分高揚する
葛飾区総合スポーツセンタの付近によく散歩に出掛ける。
誰も居ない、緑の芝生、青の走路、白い線、見ているだけで心がスッキリします。
晴れやかな気持ち、跳ねたり、は知りたくなるそんな気分。
走路青 全力疾走 若き日の
きぶん高揚 広きグランド (縄)
体育館事務所(蔵出し)
運動場入り口
見ていると気持ちが高揚す
中川土手の上から
天と地よ 気分爽快 青に染め(縄)
眺めて居るるだけで、グランドに吸い込まれたような気分になった。
コメント欄は開いてます。
NHKラジオ深夜便・放送開始の頃
ときどき 「ラジオ深夜便」の話題が登場するので
試験放送の頃の一コマ記事にしました。
この曲が流れると、放送開始です。
放送は11,05分から
翌朝、5,00分まで。
番組表
2009年度放送ウーマン賞の
日本女性放送者懇談会40周年特別賞を受賞する
宇多川清江アンカーは、深夜便の立役者。
試験放送時代の写真です。
グラビア写真
ラジオ深夜便の年表(放送開始の頃)
関西発ラジオ深夜便 明日へのことば「戦時下で放送を続けた日々」
NHK初の深夜放送として始まった「ラジオ深夜便」は今年、放送35周年を
迎える。眠れないリスナーに優しく寄り添い、20年以上アンカーを務めてい
る元NHKアナウンサーの須磨佳津江さん(75)は、「深夜便は、寅(とら)
さんであり、良き友でありたい」と番組の美学を語った。
≪いわゆる「団塊の世代」の須磨さん。
幼少の頃は、ラジオが家財の最も重要な位置にあった≫
小さい頃は、戦後の爪痕がまだ残っていて、街角には傷痍(しょうい)軍人
がいました。包帯をぐるぐる巻いて、松葉づえを持ち、(寄付を求める缶を手
にして)哀れみを乞う姿は、子供心に強く印象に残っています。
そんな時代に、我が家の居間の棚の上には、大きなラジオがありました。子
供では手が届かないので、お父さんやお母さんがスイッチをつけてくれます。
夕飯前の時間帯にNHKのラジオドラマ「一丁目一番地」(1957~64年度)
が放送された。
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