公園となって分教場の面影を残す
その付近の様子
分教場、それは懐かしい言葉の響きです。
分教場と言えば、昭和3年に小豆島の分教場にひとりの新任女性教師・大石先生が赴任してきた。12人の教え子たちと大石先生、この子たちの美しい瞳を濁してはいけないと願う。・・・・・しかし、日本中を覆う貧困と戦争の波は・・・。
辞書によれば、辺地など、本校から離れた所に住む児童・生徒のために設けられた小規模の教場を分校とあります。東京の片隅にそんな分教場があったのでした。クリック拡大
分教場跡案内図
一之江分教場の歴史を刻んだ標識
公園内に残る面影
一之江分教場跡の名版が入り口に立っています。
この一之江分教場とは、一之江村と瑞穂村が合併し瑞江村になったのを
機に瑞江尋常高等小学校が新築され移転しました。
移転直後の関東大震災で校舎が破損したことと、一之江地域の
低学年児童からは遠いことから、一之江分教場としました
中央に石橋や植え込みを配した公園になっている。
分教場時代の面影を残すただ一つのタブノキ750年。
付近の道路の様子
昔は牛車や舟運の通路でした。今は高架となって高速道路(東京~千葉)
一之江境川の始流は、首都高速一之江インターと環七の交差点の東。この季節はツツジが咲き誇りとても気持ちのいい散歩コース(健康の道)になっています。
親水公園
【平成23年度「手づくり郷土賞」(一般部門)受賞】
【平成20年度「第19回みどりの愛護」功労者国土交通大臣表彰受賞】
一之江境川は、東西一之江村の境を流れ船堀を経て新川に注いでいました。古くから、農業用水、舟運路として人々に親しまれ、昭和30年代までは鰻などもとれたそうです。しかし、江戸川区の都市化とともに川の汚れが進みました。江戸川区は”昔の境川”を取り戻すためにこの汚れてしまった川を親水公園にしました。
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