和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

知的遊戯の技術。

2011-01-03 | 短文紹介
2日は新聞が休みだったので、(年末に新聞配達店へと元旦から5日まで余分に頼んでいた
ところの)元旦の新聞を三紙ひろげてみました。
産経・読売・日経。
編集手帳はやはり、字数が少なくなっているので、書くのも大変なのだろうなあ。以前の字数の時に、楽しみに読んでいたのですが、この頃、とんと読んでいませんでした。ということで、暇ついでに字数を数えてみました。▼なども一字と数えて産経抄が689字。日経の一面コラム春秋が537字。そして編集手帳が458字ぐらいとなります。

すこし引用。
編集手帳はひとりの方がつづけて書いておられるとわかっているので、視点が定まっている安心感があります。まずは、その編集手帳からすこし引用。

「壁に掛けた真新しいカレンダーを眺めて、考えるときがある。」
「年の初め、新聞の片隅にあるこの小さな欄で、誰に何を語ろう。」

短い分、私は読みながら、だんだんと詩になるような気分を味わうのでした。

産経抄は、この数字。

「伊勢神宮の年間参拝者が昨年、860万人を超えた。何と統計が残る明治28年以降最多なのだという。5年前に取材したときには、参拝者は年々減少傾向にあり毎年600万人程度ということだった。・・・」


春秋は、こうはじまっておりました。

「100年前の明治44年はまだ『開化』という言葉がよく使われていた。夏目漱石が講演で、義務に対しては活力を節約し、道楽の方で活力を消耗しようとする、二つがコンガラカッて世が変わっていくのが開化だなどとしゃべっている。」

道楽といえば、黒岩比佐子さんの本の題名をついつい思い浮かべてしまうのでした。

そうそう。
「梅棹忠夫に挑む」(中央公論新社)に高田公理氏が「『文明の生態史観』と今日の世界」というシンポジウムの文を寄せていて、その終わりにこんな箇所がありました。

「思い出すのは、これまた梅棹忠夫の著作『知的生産の技術』の表題をめぐる対話において、私自身がじかに耳にした一言である。いわく、

  『知的生産ですが』・・・(ほんとうは)知的遊戯の技術といいたい。
   遊びこそはすべてという思想なんですが、やや危険思想です。

この文言は、1989年2月に公刊された雑誌『月刊みんぱく』掲載の対談記録『遊戯化社会の盛り場風景』に採録されている。こうした世界への対峙の仕方が、『文明の生態史観』という、ある意味では破天荒な『ユーラシア大陸の文明の推移を自然史のなかで理解しようとする地球科学』の創出をもたらしたのだと思われる。」(p92)

コメント
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