古本ですが、岩波新書に桑原武夫編「一日一言」があります。
写真入りで1月1日から12月31日まで。毎日がそれこそ日めくりのように並べられている新書。ちなみに私は持っておりますが、読んではおりません(笑)。
いまでいえば、どのような新書が思い当たるのか、といえば
たとえば、関厚夫著「一日一名言 歴史との対話365」(新潮新書)でしょうか。
その関厚夫氏は、今も産経新聞で「次代への名言」という連載をしておりまして、
本年は「妻夫(めおと)物語」として、はじまっております。
その1月1日に、こうあります。
「これからしばらく、本稿は晶子と鉄幹という妻夫(女夫、夫婦とも書く)を軸に進む。・・」とあります。
最初の言葉はこうでした。
「かの人も此人(このひと)も皆あらたまれ 春の初めに祝(ほ)ぐことは是れ 与謝野晶子」。あとに続く文章のはじまりは、この引用。
「『私が年の初めに祝つて述べる言葉は外に無い。どの人も皆新しくおなりなさいと言ふことだけです。人の心が新しくならねば、年ばかり改まつても何にもなりません。』 与謝野晶子は冒頭の自作についてそう解説している。・・・・」
さて「次代への名言」の妻夫物語はどのような引用展開があるのか、これから楽しみです。もどって、関厚夫著「一日一名言」(新潮新書)の5月10日を引用したくなりました。
1904年桑原武夫生れる
「ひとつの人間のなかに対立矛盾的なものが共存しているということは、楽しいことじゃないでしょうか」と桑原氏の言葉を引用したあとに、
桑原武夫氏の説明をしておりました。
せっかくですので、はじめから引用。
「家学は東洋学だが、29歳の年にスタンダールの不朽の名作『赤と黒』を初めて本格的に翻訳した仏文学者にして、柳田國男や富岡鉄斎の「発見者」。パキスタンの秘峰、チョゴリザの初登頂に成功、『人生は冒険によってしか切り抜けられぬ場合がある』と語る探検家の顔ももつ。冒頭は、深い人間洞察をたたえた箴言。桑原はかくも多彩な人、そして、ほれぼれするような『戦闘性』をもった文筆家だった。・・・」
最後には、桑原氏のこの言葉を引用しておりました。
「新井白石の合理主義、本居宣長のねばっこい追求力、そして明治維新をなしとげて、独立を守りえた私たちの祖父たちの知力と勇気、そうしたものをこそ、近代国家としての今の日本の中で改めて継承せねばならないのである。」
そういえば、1月8日の産経新聞「土日曜日に書く」で論説委員皿木喜久の文に、継承の断絶が書き込まれておりました。
せっかくですから、引用。
「仙石(由人)氏は昭和21年1月の生まれだから、27年小学校入学のはずである。筆者よりもちょっとだけ上の世代である。だからよくわかるのだが、当時の日教組を中心とした教育は子供たちにくどいほど『平和』だとか『反戦』をたたきこんだ。だがその『平和』を守り、国や家族を守るための戦いの意味についてはまったく教えなかった。ましてや国のために戦って死んだ人を祭ること、つまり靖国神社などの存在理由は小指の先ほども学んだ経験はない。」
「仙石氏はその前にも、国会答弁で自衛隊を『暴力装置』と呼び、顰蹙を買った。これも、国を守ることや自衛隊の意味についてまったく教えようとしなかった戦後教育の瑕疵(かし)としか思えなかった。」
つい、今日の新聞から引用しました。
写真入りで1月1日から12月31日まで。毎日がそれこそ日めくりのように並べられている新書。ちなみに私は持っておりますが、読んではおりません(笑)。
いまでいえば、どのような新書が思い当たるのか、といえば
たとえば、関厚夫著「一日一名言 歴史との対話365」(新潮新書)でしょうか。
その関厚夫氏は、今も産経新聞で「次代への名言」という連載をしておりまして、
本年は「妻夫(めおと)物語」として、はじまっております。
その1月1日に、こうあります。
「これからしばらく、本稿は晶子と鉄幹という妻夫(女夫、夫婦とも書く)を軸に進む。・・」とあります。
最初の言葉はこうでした。
「かの人も此人(このひと)も皆あらたまれ 春の初めに祝(ほ)ぐことは是れ 与謝野晶子」。あとに続く文章のはじまりは、この引用。
「『私が年の初めに祝つて述べる言葉は外に無い。どの人も皆新しくおなりなさいと言ふことだけです。人の心が新しくならねば、年ばかり改まつても何にもなりません。』 与謝野晶子は冒頭の自作についてそう解説している。・・・・」
さて「次代への名言」の妻夫物語はどのような引用展開があるのか、これから楽しみです。もどって、関厚夫著「一日一名言」(新潮新書)の5月10日を引用したくなりました。
1904年桑原武夫生れる
「ひとつの人間のなかに対立矛盾的なものが共存しているということは、楽しいことじゃないでしょうか」と桑原氏の言葉を引用したあとに、
桑原武夫氏の説明をしておりました。
せっかくですので、はじめから引用。
「家学は東洋学だが、29歳の年にスタンダールの不朽の名作『赤と黒』を初めて本格的に翻訳した仏文学者にして、柳田國男や富岡鉄斎の「発見者」。パキスタンの秘峰、チョゴリザの初登頂に成功、『人生は冒険によってしか切り抜けられぬ場合がある』と語る探検家の顔ももつ。冒頭は、深い人間洞察をたたえた箴言。桑原はかくも多彩な人、そして、ほれぼれするような『戦闘性』をもった文筆家だった。・・・」
最後には、桑原氏のこの言葉を引用しておりました。
「新井白石の合理主義、本居宣長のねばっこい追求力、そして明治維新をなしとげて、独立を守りえた私たちの祖父たちの知力と勇気、そうしたものをこそ、近代国家としての今の日本の中で改めて継承せねばならないのである。」
そういえば、1月8日の産経新聞「土日曜日に書く」で論説委員皿木喜久の文に、継承の断絶が書き込まれておりました。
せっかくですから、引用。
「仙石(由人)氏は昭和21年1月の生まれだから、27年小学校入学のはずである。筆者よりもちょっとだけ上の世代である。だからよくわかるのだが、当時の日教組を中心とした教育は子供たちにくどいほど『平和』だとか『反戦』をたたきこんだ。だがその『平和』を守り、国や家族を守るための戦いの意味についてはまったく教えなかった。ましてや国のために戦って死んだ人を祭ること、つまり靖国神社などの存在理由は小指の先ほども学んだ経験はない。」
「仙石氏はその前にも、国会答弁で自衛隊を『暴力装置』と呼び、顰蹙を買った。これも、国を守ることや自衛隊の意味についてまったく教えようとしなかった戦後教育の瑕疵(かし)としか思えなかった。」
つい、今日の新聞から引用しました。