本について、思ったこと。
表紙をチラリ見るだけなのは、
たとえば、テレビで顔をみるようなものでしょうか。
すると、さらりと読むというのは、
どこかで、すれ違うという縁かもしれず。
ちょいと、その際に会話を交えることでもあったり。
そのあと、書評を読むというのは・・・・。
じつは、鶴見俊輔著「思い出袋」(岩波新書)を、
語りたかったのですが、まわりくどくなりました。
私は最初、岩波書店のPR誌「図書」の連載で
1~2年の間読んでいたことがありました。
途中でもういいや。と思ってやめておりました。
その7年分の連載が新書になった。
さっそく読んで感銘。
けれども、もう内容も忘れておりました。
この前、古新聞を片づけていたら、
江上剛氏の「思い出袋」への書評記事がある。
たいそう、印象に残る、書評でしたので、
また読みたいと思っておりました。
それがまた読めた。ですから、すこし引用。
最初に、新書の成り立ちと氏の簡単な紹介をして
「・・・まずなにより名文だ。
論理的であるがゆえに、その内容がいささかの抵抗もなく心に浸透していく。文章を読むことの心地よさをこれほど味わえることはめったにない。」
とあります。絶賛じゃないですか。
はたして、私はそんなように、この新書を読んでいたかどうか不安になってきました。つぎに、その名文の名文たる指摘が続きます。
「私は、サラリーマンを長く務めてきた。
その間、たくさんの稟議書を書いてきたが、
本書は絶対に参考になる。
最初の1行にテーマが打ち出され、それに対して
著者の考えが具体的事例を伴って演繹的に展開される。
最後に結論としての考えてと、課題が提示される。」
( うん。私の簡単読みが恥ずかしい。 )
その名文たるゆえんを、「絶対に」という言葉もつかって
フル回転で伝えようとしております。
もうすこし、引用をつづけます。
「著者は10代の多感な時期をアメリカで暮らしたためにこのような論理的明晰さを身につけたのだろうが、本書に倣って稟議書を作成すれば難しい案件も容易に承認されるだろう。俗っぽい実益的な読み方を提案してしまったが、本書の眼目はなんといっても『疾風に勁草(けいそう)を知る』の例えのごとく生きる強さだ。どのエッセイからも泉のように生命力があふれ出て来る。人生に疲れた人は、読むごとに本書を机上に伏せ、目を閉じ、著者の言葉を反芻してみるとよい。沸々とエネルギーが満ちるのを感じるだろう。どの言葉も人生への真摯なアフォリズム(箴言)となっている。・・・」
つい、引用したくなる書評というのは
めったにないのですが、やはり、ある。
なんだか、話し合いなどしているうちに、
魅力ある指摘をしてくださっるのを、
ありがたく拝聴している気分になります。
私は、そんな風には思いもしないで
読んでいたのですが、その指摘をなぞって
あらためて、読んでみたくなるのでした。
表紙をチラリ見るだけなのは、
たとえば、テレビで顔をみるようなものでしょうか。
すると、さらりと読むというのは、
どこかで、すれ違うという縁かもしれず。
ちょいと、その際に会話を交えることでもあったり。
そのあと、書評を読むというのは・・・・。
じつは、鶴見俊輔著「思い出袋」(岩波新書)を、
語りたかったのですが、まわりくどくなりました。
私は最初、岩波書店のPR誌「図書」の連載で
1~2年の間読んでいたことがありました。
途中でもういいや。と思ってやめておりました。
その7年分の連載が新書になった。
さっそく読んで感銘。
けれども、もう内容も忘れておりました。
この前、古新聞を片づけていたら、
江上剛氏の「思い出袋」への書評記事がある。
たいそう、印象に残る、書評でしたので、
また読みたいと思っておりました。
それがまた読めた。ですから、すこし引用。
最初に、新書の成り立ちと氏の簡単な紹介をして
「・・・まずなにより名文だ。
論理的であるがゆえに、その内容がいささかの抵抗もなく心に浸透していく。文章を読むことの心地よさをこれほど味わえることはめったにない。」
とあります。絶賛じゃないですか。
はたして、私はそんなように、この新書を読んでいたかどうか不安になってきました。つぎに、その名文の名文たる指摘が続きます。
「私は、サラリーマンを長く務めてきた。
その間、たくさんの稟議書を書いてきたが、
本書は絶対に参考になる。
最初の1行にテーマが打ち出され、それに対して
著者の考えが具体的事例を伴って演繹的に展開される。
最後に結論としての考えてと、課題が提示される。」
( うん。私の簡単読みが恥ずかしい。 )
その名文たるゆえんを、「絶対に」という言葉もつかって
フル回転で伝えようとしております。
もうすこし、引用をつづけます。
「著者は10代の多感な時期をアメリカで暮らしたためにこのような論理的明晰さを身につけたのだろうが、本書に倣って稟議書を作成すれば難しい案件も容易に承認されるだろう。俗っぽい実益的な読み方を提案してしまったが、本書の眼目はなんといっても『疾風に勁草(けいそう)を知る』の例えのごとく生きる強さだ。どのエッセイからも泉のように生命力があふれ出て来る。人生に疲れた人は、読むごとに本書を机上に伏せ、目を閉じ、著者の言葉を反芻してみるとよい。沸々とエネルギーが満ちるのを感じるだろう。どの言葉も人生への真摯なアフォリズム(箴言)となっている。・・・」
つい、引用したくなる書評というのは
めったにないのですが、やはり、ある。
なんだか、話し合いなどしているうちに、
魅力ある指摘をしてくださっるのを、
ありがたく拝聴している気分になります。
私は、そんな風には思いもしないで
読んでいたのですが、その指摘をなぞって
あらためて、読んでみたくなるのでした。