和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

疾風に勁草を知る。

2011-01-11 | 短文紹介
本について、思ったこと。
表紙をチラリ見るだけなのは、
たとえば、テレビで顔をみるようなものでしょうか。
すると、さらりと読むというのは、
どこかで、すれ違うという縁かもしれず。
ちょいと、その際に会話を交えることでもあったり。
そのあと、書評を読むというのは・・・・。


じつは、鶴見俊輔著「思い出袋」(岩波新書)を、
語りたかったのですが、まわりくどくなりました。
私は最初、岩波書店のPR誌「図書」の連載で
1~2年の間読んでいたことがありました。
途中でもういいや。と思ってやめておりました。
その7年分の連載が新書になった。
さっそく読んで感銘。
けれども、もう内容も忘れておりました。
この前、古新聞を片づけていたら、
江上剛氏の「思い出袋」への書評記事がある。
たいそう、印象に残る、書評でしたので、
また読みたいと思っておりました。
それがまた読めた。ですから、すこし引用。
最初に、新書の成り立ちと氏の簡単な紹介をして

「・・・まずなにより名文だ。
論理的であるがゆえに、その内容がいささかの抵抗もなく心に浸透していく。文章を読むことの心地よさをこれほど味わえることはめったにない。」

とあります。絶賛じゃないですか。
はたして、私はそんなように、この新書を読んでいたかどうか不安になってきました。つぎに、その名文の名文たる指摘が続きます。

「私は、サラリーマンを長く務めてきた。
その間、たくさんの稟議書を書いてきたが、
本書は絶対に参考になる。
最初の1行にテーマが打ち出され、それに対して
著者の考えが具体的事例を伴って演繹的に展開される。
最後に結論としての考えてと、課題が提示される。」

( うん。私の簡単読みが恥ずかしい。 )
その名文たるゆえんを、「絶対に」という言葉もつかって
フル回転で伝えようとしております。
もうすこし、引用をつづけます。

「著者は10代の多感な時期をアメリカで暮らしたためにこのような論理的明晰さを身につけたのだろうが、本書に倣って稟議書を作成すれば難しい案件も容易に承認されるだろう。俗っぽい実益的な読み方を提案してしまったが、本書の眼目はなんといっても『疾風に勁草(けいそう)を知る』の例えのごとく生きる強さだ。どのエッセイからも泉のように生命力があふれ出て来る。人生に疲れた人は、読むごとに本書を机上に伏せ、目を閉じ、著者の言葉を反芻してみるとよい。沸々とエネルギーが満ちるのを感じるだろう。どの言葉も人生への真摯なアフォリズム(箴言)となっている。・・・」

つい、引用したくなる書評というのは
めったにないのですが、やはり、ある。
なんだか、話し合いなどしているうちに、
魅力ある指摘をしてくださっるのを、
ありがたく拝聴している気分になります。

私は、そんな風には思いもしないで
読んでいたのですが、その指摘をなぞって
あらためて、読んでみたくなるのでした。
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小紙。

2011-01-11 | 短文紹介
産経新聞を購読しております。
この新聞で、思いもかけなかったのは、
ときどき、古い同紙の言葉をとりあげていること。
たとえば、1月10日の産経抄は、こうはじまっております。

「元日の小紙の『正論』と『主張』は、くしくも『芯』という同じテーマだった。曾野綾子さんと小紙の中静敬一郎論説委員長は、ともに日本人の芯がむしばまれつつある現状に、強い警鐘を鳴らしていた。・・・・」

あるいは、1月8日の「土日曜日に書く」での
論説委員皿木喜久の文章にあるこんな箇所。


「もう昨年末にことになったが、仙石由人官房長官の発言がまたまた物議をかもした。・・・その点については先月29日付の本紙『主張』が厳しく批判している。それをもう一度取り上げる気になったのは、仙石氏の発言が『戦後教育』の落とし穴にスッポリとはまりこんでしまったもののように思えるからだ。・・・」

ここは、題して「民主政権むしばむ戦後教育」。

なにごとも、整理苦手な私は、
こういう時、俄然はりきって、古新聞を掻き分けて
その時には、読んでもいない、そのお目当ての文を捜すのでした。
いやはや、何とも、産経新聞は捨てがたい。

さてっと、今年は日めくりカレンダーを日々切り取りながら
(じっさいは、一枚一枚下に引き抜く感じなのですが)、
今年こそ、ブログを忘れずに書いていこうと、思うのでした(笑)。
そう思うと、それについてのあれこれが気になるなあ。
たとえば、「日記」。

毎日新聞は、日曜日だけ配達してもらっています。
日曜日には、「今週の本棚」がある。
余得として、毎日歌壇・毎日俳壇も読める。
その毎日俳壇の西村和子選の最初の句は、こうでした。


「 三行と決めて向き合ふ初日記  茅ケ崎市 早川幸子 」

その選評は
「一日三行なら三日坊主にならずにすみそう。
 定型を守る気構えも『向き合ふ』に表われている。」

ちなみに西村和子選の2句目は

「 木枯しに決意のほどを問はれけり  大和郡山市 奥良彦」

脱線してゆくなあ、
毎日歌壇も紹介

篠弘選の一首目は

  上司とは辛きものなり思いきり
    叱りし後のフォロー頼まる  町田市 冨山俊朗

伊藤一彦選の一首目は

  何とかして会話ぺらぺらつなぐうち
    自分が薄っぺらになってゆく  狭山市 小塩佐奈


選者の歌も新年で載っておりました。
そこから篠弘氏の二首。題は「初仕事」。

 読まざりし本を上にしこの秋に
   求めし古書を積み直しゐる   

 ひらきゆく古書目録は初仕事
   いくすぢか朱のラインを引かな


毎日新聞の「今週の本棚」も、
何かつまらなくなってきたので、
もう購読はやめようかなあと、
そんなことを思いながら1月9日(日曜日)の
書評欄をひらくと、短い書評が目にはいりました。

荒川洋治著「日記をつける」(岩波現代文庫)
(弐)さんが書いておりまして、その最後は、

「・・・日記について語りながら、文章の奥義を語る。こうして人は文章を書くのだと納得させる。荒川版『文章読本』の趣である。」

それから(才)さんの短評で
長谷川櫂著「日めくり 四季のうた」(中公新書)
そのはじまりは

「大岡信『折々のうた』にはじまる(?)新聞的短詩形文学名作選の一つを日ごよみ形式にして編集した。撰(せん)がいちいち気がきいていて、心が洗われる。・・・」


もちろん。この二冊は注文(笑)。

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