和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

嬉しかりけむ。

2011-01-29 | 詩歌
関容子著「日本の鶯 堀口大學聞書き」(岩波現代文庫)を読み終わっても、その余韻が尾をひいてます。読後に、私が思い浮かんだのは、日本テレビで以前あった番組「はじめてのおつかい」でした。ちなみに、この岩波現代文庫には、関さんの「岩波現代文庫版あとがき」と、丸谷才一の「解説」がついております。堀口大學・関容子・丸谷才一と、この文庫で顔ぶれがそろった。という感じです。これが読めてよかった。関さんの現代文庫あとがきに、「短歌」への連載中の、電話でのご指導が書かれておりました。

「なんと言っても一番の恩人は丸谷才一先生です。『短歌』をごらんになると必ず厳しいご指導の電話があって、それが私の文章修行になりました。
たとえば、『いつの間にかお菓子を独占する習慣がついて』なんて、まるで女(おんな)全学連じゃないですか、『お菓子を一人じめする習わし』でしょう・・・、といった具合。・・・時には丸谷先生から葉書が届くこともあって、教養、年齢、総ての点であまりに差のある大學先生と私のおかしな取合せをからかって、『語る大學聞く幼稚園』とありました。・・・・・大學先生はだんだん丸谷先生の検閲の結果をお察しになるようになって、『ここはM先生にバッサリ削られるかね。惜しいから雑誌に紙を貼って送りなさいな。本になるときは活かしましょう』と、冗談をおっしゃていました。単行本になるとき、『日本の鶯』という題をつけてくださったのも丸谷先生で、折にふれて『僕のつけた本の題名で一番いいのはこれかも知れない』と、自慢なさっています。」(p395~397)

これじゃまるで、「はじめてのおつかい」という番組で、幼稚園とお母さん役と役者がそろったみたいです。
「一番いい題名」にまつわる話は、丸谷氏の解説を読めばわかるので、ここでは省略。

私が引用するのは、堀口大學氏が語っている短歌についての箇所。


「日本語のよさを最大に生かせるのは、やはり短歌じゃないでしょうかね。・・・磨くには楽しい言葉ですよ。とにかく歌はいい。嫉妬とかいや味とか皮肉を言うにしても、そのままでは実に味気ないが、和歌にして出されると、情感がこもってホロリとさせられる。また物を贈るにしても、礼を述べるにしても、和歌が添えられていると、有難味が一段と深まるような気がするし、第一、心が通い合うでしょう。」(p220)

こうして、具体的な例が語られるのですが、ちょっと2ページとばしてから、引用。

「贈答の歌の例では、そうそう、こんなのがありましたよ。与謝野寛先生は、三月(昭和十年)に亡くなられたでしょう。それで翌年の一周忌のご命日に、僕は多磨墓地へお詣りに一人で行きました。
寛先生の訳詩集に『リラの花』というのがあったし、パリにいらしてリラの花をご覧になって来ておられるし、それでお墓にリラの花束をおそなえしようと思って、前々から小石川の大曲のところの大きな花屋に頼んでおいたの・・・それにこういう歌を添えてお供えしてきました。

 幻に巴里の匂ひかぎませと多摩のみ墓にリラ奉る

すると早速、晶子先生がお礼状にご返事を添えて下さいました。

 幻の巴里のリラの匂ひより嬉しかりけむ君が足音

というの。どうです?僕が負けてるねえ。『幻に・・』を『幻の・・』と、ちゃんと受けて下すって、幻と巴里とリラと、同じ材料を使ってこうも違うかねえと思いましたよ。・・」

そして、大學先生は、関さんに、こう語ったそうです。


「近頃よく大學先生は、私に歌をつくってみたら、とおすすめになる。せっかくたびたび訪ねてくるのだから、つくってくれば見てあげよう、とおっしゃって下さる。先生のことだから、やさしく上手におだてて下さるだろうと思うが、こわくてつくれない。」


この文庫は、面白い読み方を秘めた一冊で、語りだすと尽きないのでした。

ところで、なんですが、「匂ひより嬉しかりけむ・・」で、
ちらりと思いうかんだのは
折口信夫著「橘曙覧評伝」にある言葉でした。

「『心にしみてうれしかりけり』かう言ふ近代的な感動は、どうして現れて来たのか、私にはまだ訣らぬ。少くとも曙覧以前には、まだ見てゐない。新派短歌もまだ明治期には、かうした発想までは要求して居なかつた。・・・」

コメント
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