宮崎駿監督に上映12分の映画「パン種とタマゴ姫」があるそうです。なんでも、パン種に生命が宿って、話が展開してゆくらしいのでした。
そういえば、と私が思ったこと。
昨年などもそうなのですが、ブログを書きながら思うのは(特に今年は毎日更新しようとしておりますからね)、このテーマはパン種になるなあ、ちょいと膨らませれば面白いことが書けそうだ。という時、つまり、熟成をまたなければいけないような場合に、たいていブログの更新がおろそかになる。ということに、あらてめて、気がつくのでした。
これは調べてからとか、まごついているうちに、あっというまに1週間もブログ更新がおろそかになっていたり(笑)。くれぐれも、今年は、この轍を踏まないようにいたしましょう。というのが1月もおわりの抱負。
さてっと、
かまくら春秋社発行の本で、「堀口大學詩集 幸福(しあわせ)のパン種」というのがありました。編者は堀口すみれ子。その「あとがき」の全文を引用。
「いつの日か、こんな詩集を編むことが出来たらな、と夢に描くようになってから久しい気がします。ページの制約上、やむを得ずこの集に載せることをあきらめなければならない詩編がたくさんあって難儀でしたが、それさえもうれしい苦労で、父の詩と翻訳詩の中から、限られた数を選びだすのは、心楽しい作業でした。
それは夢だったり、希望だったり、やさしい忠告だったり、自戒だったり、冗談だったり、風景だったり、すべて詩人からのメッセージです。集の中のいづれの詩編も、読者の琴線に触れることを、そしてそれらが、ある味わいとして残り、時を経て醸造され、満ちたりた感覚、あるいは感情として、心の中にぷうーっと膨らんでくるような、幸福(しあわせ)のパン種であることを願います。
堀口大學の詩を読んだことのない方には、入門の書として、すでに馴染みのある方には懐古の書として、長く座右の書としていただきたいと思います。今年は父の十三回忌にあたります。古くて新しいのが父の詩の値打ちです。 平成5年3月13日 堀口すみれ子」(p135)
「古くて新しいのが」といえば、関容子著「日本の鶯」(岩波現代文庫)に
ちょうどまだ、聞き書きがうまく噛み合っていないような具合の時に関容子さんが八十余歳の老詩人に、「先生の、例えば『食人競技』という詩・・・今読むと、実に現代的・・・面白いなと思いました、と申し上げると、先生はしばらくお考えになり、
『そうね』
と、思い切って譲歩なさるといった感じに、短く同意なさった。
そして、『僕の詩は、古くなって新しさがわかる、というものでね』
とおっしゃってから、
『ああ、この言葉、いい言葉を発明したね。本日のイベントだ』
と・・・・」(p84)
う~ん。パン種から「本日のイベント」まででした。
そういえば、と私が思ったこと。
昨年などもそうなのですが、ブログを書きながら思うのは(特に今年は毎日更新しようとしておりますからね)、このテーマはパン種になるなあ、ちょいと膨らませれば面白いことが書けそうだ。という時、つまり、熟成をまたなければいけないような場合に、たいていブログの更新がおろそかになる。ということに、あらてめて、気がつくのでした。
これは調べてからとか、まごついているうちに、あっというまに1週間もブログ更新がおろそかになっていたり(笑)。くれぐれも、今年は、この轍を踏まないようにいたしましょう。というのが1月もおわりの抱負。
さてっと、
かまくら春秋社発行の本で、「堀口大學詩集 幸福(しあわせ)のパン種」というのがありました。編者は堀口すみれ子。その「あとがき」の全文を引用。
「いつの日か、こんな詩集を編むことが出来たらな、と夢に描くようになってから久しい気がします。ページの制約上、やむを得ずこの集に載せることをあきらめなければならない詩編がたくさんあって難儀でしたが、それさえもうれしい苦労で、父の詩と翻訳詩の中から、限られた数を選びだすのは、心楽しい作業でした。
それは夢だったり、希望だったり、やさしい忠告だったり、自戒だったり、冗談だったり、風景だったり、すべて詩人からのメッセージです。集の中のいづれの詩編も、読者の琴線に触れることを、そしてそれらが、ある味わいとして残り、時を経て醸造され、満ちたりた感覚、あるいは感情として、心の中にぷうーっと膨らんでくるような、幸福(しあわせ)のパン種であることを願います。
堀口大學の詩を読んだことのない方には、入門の書として、すでに馴染みのある方には懐古の書として、長く座右の書としていただきたいと思います。今年は父の十三回忌にあたります。古くて新しいのが父の詩の値打ちです。 平成5年3月13日 堀口すみれ子」(p135)
「古くて新しいのが」といえば、関容子著「日本の鶯」(岩波現代文庫)に
ちょうどまだ、聞き書きがうまく噛み合っていないような具合の時に関容子さんが八十余歳の老詩人に、「先生の、例えば『食人競技』という詩・・・今読むと、実に現代的・・・面白いなと思いました、と申し上げると、先生はしばらくお考えになり、
『そうね』
と、思い切って譲歩なさるといった感じに、短く同意なさった。
そして、『僕の詩は、古くなって新しさがわかる、というものでね』
とおっしゃってから、
『ああ、この言葉、いい言葉を発明したね。本日のイベントだ』
と・・・・」(p84)
う~ん。パン種から「本日のイベント」まででした。