外山滋比古の新刊「朝採りの思考」(講談社)を読む。
ぱらぱらとめくっているのですが、
私には、外山滋比古氏が、名人の落語家でもあるような、
そんな印象をあたえられます。
じつは、昨年から、気がつくと、氏の古本の文庫本などを購入しておりました。
ですから、重複を辞さない、エッセイの書き方は、私なりに理解しているつもりです。面白いのは、一度書かれた文を、選択しながら、一冊に洗練してゆく楽しみを読めること。文章に現れたエピソードはそのままに、いろいろなバリエーションを楽しめます。文章の素材は篩(ふるい)をかけて選ばれており、それを名人の落語家が味わい深く料理してゆくようなエッセイとしての文章運び。
これは、落語家が同じ噺を繰り返しながら、芸を鍛えてゆく。そんなやり方と同じじゃないのかと、今回の本を読んで、あらためて私は、うんうんとうなづきます。短い文なのですが、この新刊、そのエッセイとしての洗練が、落語で味わうところの、息抜きの間合いとして、他にかえがたい貴重な一冊となっている気がいたします。
ということで、この人のエッセイを読んだことのない方には、まずは、お薦めの一冊。もちろん、専門の研究書もあるのですが、何といっても、外山滋比古氏のすばらしさは、その研究書と、こういうエッセイとが地続きの言葉として味わえるところ。
1923年生まれ。同時代に、こうして新刊を読めるよろこび。
なにげなくも買った一冊でしたが、こうして1月に読めるよろこび(笑)。
ぱらぱらとめくっているのですが、
私には、外山滋比古氏が、名人の落語家でもあるような、
そんな印象をあたえられます。
じつは、昨年から、気がつくと、氏の古本の文庫本などを購入しておりました。
ですから、重複を辞さない、エッセイの書き方は、私なりに理解しているつもりです。面白いのは、一度書かれた文を、選択しながら、一冊に洗練してゆく楽しみを読めること。文章に現れたエピソードはそのままに、いろいろなバリエーションを楽しめます。文章の素材は篩(ふるい)をかけて選ばれており、それを名人の落語家が味わい深く料理してゆくようなエッセイとしての文章運び。
これは、落語家が同じ噺を繰り返しながら、芸を鍛えてゆく。そんなやり方と同じじゃないのかと、今回の本を読んで、あらためて私は、うんうんとうなづきます。短い文なのですが、この新刊、そのエッセイとしての洗練が、落語で味わうところの、息抜きの間合いとして、他にかえがたい貴重な一冊となっている気がいたします。
ということで、この人のエッセイを読んだことのない方には、まずは、お薦めの一冊。もちろん、専門の研究書もあるのですが、何といっても、外山滋比古氏のすばらしさは、その研究書と、こういうエッセイとが地続きの言葉として味わえるところ。
1923年生まれ。同時代に、こうして新刊を読めるよろこび。
なにげなくも買った一冊でしたが、こうして1月に読めるよろこび(笑)。