和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

注文書籍。

2011-01-17 | 短文紹介
毎日新聞の毎日歌壇(2011年1月16日)。
篠弘選の最初の歌は、

 取り寄せし注文書籍が残さるる
   顧客の訃報またも入りくる  宝塚市 高井忠明

その選評は、
「発注した本が配本されるまでに、十日は掛かる。
その間における読者の他界。常連の客を失った悲しみは深い。」

そういえば、池上彰氏の7ページほどの文(題は「発展する国の見分け方」)に
こんな箇所がありました。

「本が大好きだった父は、死の床にあった晩年、『広辞苑』の新版が出たことを知り、私に買って来てくれと頼みました。寝たきりになっているのに、大部な辞書を、開いては、読みふけっていました。この読書欲。知識欲。明日世界がなくなるとしても、万巻の書を読みたいと思ってしまう自分に、かつての父の姿がダブります。・・・」p16(岩波新書「本は、これから」)


う~ん。広辞苑といえば、通州事件は、もう記載されているのでしょうか?
2001年に出た、谷沢永一・渡部昇一著「広辞苑の嘘」(光文社)に、
この指摘があったのでした。

「つぎに、日本人住民、約二百人もがシナ兵に虐殺された『通州事件』にもふれます。これは広辞苑が意図的に外し、岩波の歴史年表でも抹殺しています。つまりシナに都合の悪い史実は書かないという岩波の偏向的執着の露呈というやつです。
ご存じない世代に説明しておきますと、通州という北京から少し奥に入った街に日本人と朝鮮人(日韓併合により当時は日本人です)合わせて三百人ぐらい住んでいた。盧溝橋事件が起こったのが1937年7月7日で、それから1週間ぐらいで一応現地協定が済む。それで戦いは終わります。その終わった三週間後の7月29日に通州の住民がシナ保安隊によって、二百人前後殺されている。それがまた残虐極まりない殺され方でした。両手、両足を切り落とされたり、前身を切り刻まれたり、女の人もそれは言語に絶する殺され方をしていたのです(朝日新聞社法廷記者団編『東京裁判』上中下(昭和37年)東京裁判刊行会)。日本国のこれは情報に関する考え方の甘さですが、当時なぜこれだけ殺されましたと、外国のカメラマンを呼んで写真を撮り各国に流さなかったのか。国際世論が起こっていたら、蒋介石も支那事変をあの時点で起せなくなるのです。支那事変は向こうが起したわけですから。
岩波のいやらしいのは、この通州虐殺事件を広辞苑では一切ふれずに、さらに岩波書店刊行の『近代日本総合年表』でも一切無視しているところです。なかなかに精細な年表ですが、28日までは記述がきちんとあるのに、29日には通州事件がない。・・・」

ここにあるところの「日本国のこれは情報に関する考え方の甘さですが」という箇所は、昨年の中国漁船による追突での映像情報操作でも、繰返されているのを、あらためて思い知らされたわけでした。


私が渡部昇一氏の「通州事件」についての文を読んだのは、これが最初だったと思います。それから、渡部昇一氏は、ことあるごとに、文章で、この事件をとりあげておられました。はたして、広辞苑は、どうしたのか?
私は辞書を買っても古本なので、新刊の辞書はどうなっているのだろうなあ。どなたか、ご存知の方はいらっしゃいますか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする