加藤秀俊著作集の内容見本を見てます。
そのご自身の挨拶に「わたしもことし50歳」。
つまり、著作集全12巻は、50歳までの集成ということなのでした。
ちなみに、桑原武夫・川喜田二郎・永井道雄・小松左京、W・シュラムの5人が、
著作集に寄せての推薦文を書いておりました。
桑原氏の文は以前引用したことがあるので、
ここでは、川喜田二郎氏の言葉から、
「・・加藤さんの文章はサラリと明快で、現代的だ。気負わず具体的である。文化や社会の事を論ずる日本の学者にありがちな権威主義的ゼスチャーはカケラもない。」
そういえば、加藤秀俊著「整理学」(中公新書)は昭和38(1963)年に出ており、
梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書)は昭和44(1969)年に出ます。
梅棹忠夫氏は1920年京都市生まれ。
加藤秀俊氏は1930年東京生まれ。
梅棹忠夫著作集の第11巻は「知的生産の技術」が入っておりまして、その最後のコメントに加藤秀俊氏が書いておりました。
せっかくですから、そこから加藤秀俊氏による梅棹忠夫評を
端折って引用
「・・・かれの精神の奥深さには、言語というかぎられた表出手段にたいするもどかしさと、その限界についての諦観のようなものが沈潜しているようにわたしにはみえる。これだけ多作で、しかもその著作のひとつひとつが珠玉のごとき輝きをもちながら、そして、その文章がこれだけ明快でありながら、ほんとうの梅棹思想は他者のうかがい知ることのできない前言語段階でよどんでいるのではないか。・・・ひとりのめぐまれた後輩として梅棹さんとのながい交遊のなかで、わたしはかれのなかにある実存のかなしさとおそろしさをつねに感じつづけてきたのであった。表出手段としての言語の限界をしっているからこそ、梅棹さんはごじぶんのあらゆる著作に愛情と責任と、そして執着をもっておられる。・・・・」
そのご自身の挨拶に「わたしもことし50歳」。
つまり、著作集全12巻は、50歳までの集成ということなのでした。
ちなみに、桑原武夫・川喜田二郎・永井道雄・小松左京、W・シュラムの5人が、
著作集に寄せての推薦文を書いておりました。
桑原氏の文は以前引用したことがあるので、
ここでは、川喜田二郎氏の言葉から、
「・・加藤さんの文章はサラリと明快で、現代的だ。気負わず具体的である。文化や社会の事を論ずる日本の学者にありがちな権威主義的ゼスチャーはカケラもない。」
そういえば、加藤秀俊著「整理学」(中公新書)は昭和38(1963)年に出ており、
梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書)は昭和44(1969)年に出ます。
梅棹忠夫氏は1920年京都市生まれ。
加藤秀俊氏は1930年東京生まれ。
梅棹忠夫著作集の第11巻は「知的生産の技術」が入っておりまして、その最後のコメントに加藤秀俊氏が書いておりました。
せっかくですから、そこから加藤秀俊氏による梅棹忠夫評を
端折って引用
「・・・かれの精神の奥深さには、言語というかぎられた表出手段にたいするもどかしさと、その限界についての諦観のようなものが沈潜しているようにわたしにはみえる。これだけ多作で、しかもその著作のひとつひとつが珠玉のごとき輝きをもちながら、そして、その文章がこれだけ明快でありながら、ほんとうの梅棹思想は他者のうかがい知ることのできない前言語段階でよどんでいるのではないか。・・・ひとりのめぐまれた後輩として梅棹さんとのながい交遊のなかで、わたしはかれのなかにある実存のかなしさとおそろしさをつねに感じつづけてきたのであった。表出手段としての言語の限界をしっているからこそ、梅棹さんはごじぶんのあらゆる著作に愛情と責任と、そして執着をもっておられる。・・・・」