和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

上目遣いに。

2011-07-01 | 地域
週刊新潮7月7日号に
「『民主党』の未熟を津々浦々に知らしめよ 今は辞めるな『菅総理』!」という3ページの特集。気になる題名なので、買って読みました。
はじめにこうあります。
「・・・自民党を激怒させて、信頼関係を崩しておきながら、野党との協議が不可欠な法案の成立を辞任の条件に掲げたわけである。・・・」

政治アナリストの伊藤敦夫氏の言葉。
「菅さんを支えるべき内閣と党の幹部らがこぞって【総理の退陣時期を話し合っう会合を開く】なんて、こんな悲惨な政党を私は見たことがありません。民主党は完全に【学級崩壊】してしまっている。」

ジャーナリスト高山正之氏の言葉。
「高山氏は突き放す。『すべての原発が止まれば、産業は立ち行かなくなり、日本は間違いなく停滞します。しかし、それもいいかもしれない。平和憲法や反原発が良いと考える国民にはとことん痛い思いを味わわせるしかない。戦後60年以上経っても、未だ気づかないわけですから。多くの学者やマスコミが菅首相にならい、反原発を煽っているのがその証拠です。国民が日本人として覚醒するためには、本当に堕ちるところまで堕ちるしかないかもしれません』」

ここに、上目づかいの総理の写真が掲載されておりました。
そういえば、谷沢永一と会田雄次の対談「阪神大震災でわかった日本人の苦い側面」での言葉が浮かんできます。そこを引用。


会田】 出世するのは・・・こっそり上目遣いにどこによいエサがあるかを見ている・・人間。そんなのが非常事態に役に立たないのは当然です。
谷沢】 ついに日本は非常事態に対応できない国に成り下がってしまいました。日本がとことんまた貧乏になって、アジア諸国のなかで、どこかに追いつかなければならないというようなことになったら、はじめて有能な人を探すでしょう。そこまでいかないと、絶対にだめだと思う。


うん。これはここまで。
そういえば、方丈記。
あれは実体験だったそうですが、どのようだったのか

「作者の十代後半から【方丈記】執筆の現在に到る間に実体験した、都に起った五大災厄を記す部分。即ち、安元3年(1177)4月、都の三分の一が灰燼にきした大火、続いて治承4年(1180)4月、中御門京極辺から六条辺まで、約3キロ近くも吹き抜けた辻風、また同年6月に突如敢行された福原遷都による都の混乱と荒廃、ついで養和元年(1181)から2年にかけての大飢饉、それに元暦2年(1185)の、山は崩れ、津波が襲い、土は裂け、余震が数ヵ月も続いた大地震がそれである。・・・」(「新潮古典文学アルバム12 方丈記・徒然草」より)

うん。短いくせに、やけにチンプンカンプンの方丈記を、ここらで、ひらいてみます。
コメント
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