和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

わが身とすみかと。

2011-07-08 | 短文紹介
今日など、風があってそれなりに涼しいのですが、なんせ汗をかきます。古典を読むのは、こんな時とばかりに、方丈記。ワイド版岩波文庫で。文章に涼しさを感じるのって、古典の強み。

「すべて世中のありにくく、わが身とすみかとのはかなくあだなるさま、又かくのごとし。」

うん。現代語の参考書をあらかじめ読んでいて、水先案内をしてもらったから、チンプンカンプンでも、何となく読み通せるような気がしております。わからないながらも、

「所、河原近ければ、水難も深く、白波のおそれも騒がし」なんて、わかりやすい箇所をひろってゆくだけの読みなのですが、それでも、短いなりに楽しめるような気がしてきました。短歌の密度を、随筆へ移行させたような文体とでも呼べるのでしょうか?その緊密さ、という味わい。こういう梅雨時には、簡潔さがありがたく読解をうながします。


「又同じころかとよ、おびただしく大地震(おおなゐ)振ること侍りき。そのさま、世の常ならず。山は崩れて河を埋み、海は傾(かたぶ)きて陸地をひたせり。土さけて水わきいで、巌われて谷にまろびいる。・・・都のほとりには、在々所々、堂舎塔廟、ひとつとして全からず。或は崩れ、或は倒れぬ。塵灰立ち上りて、盛りなる煙の如し。地の動き、家の破るる音、雷(いかづち)にことならず。家の内にをれば、忽ちにひしげなんとする。走り出づれば、地われさく。羽なければ、空をも飛ぶべからず。竜ならばや、雲にも乗らむ。・・」

その後に余震についても書かれておりました。

「しばしにてやみにしかども、そのなごりしばしは絶えず。世の常驚くほどの地震、二三十度振らぬ日はなし。十日二十日過ぎにしかば、やうやう間遠になりて、或は四五度、二三度、若しは一日まぜ(一日おき)、二三日に一度など、おほかたそのなごり、三月ばかりや侍りけむ。」

そして、これにつづく文も味わいがあるのでした。

というわけで、短く簡潔で、ときに読み直す古典が
身近にあると、いまさらながらに気づかされました。

コメント
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