和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

新聞・テレビ。

2011-07-21 | テレビ
最近の国会中継は、できるだけ、録画しておいて、あとで早送りで、見たい箇所を特定して見るようにしています(国会中継はいつでも取り出して見れるシステムになっているとありがたいのですが、現在はどうなのでしょう)。昨日雑誌「SAPIO」8月3日号を買いました。特集が「新聞・テレビのグロテスクな限界」。ちなみに連載の方々には、大前研一・黒田勝弘・佐藤優・古森義久という面々がおりました。震災以来、私はこの雑誌にまで目がいっておりませんでした。
さてっと、特集の最初は内田樹氏。文のはじまりにこうあります
「最近のマスコミについての私見を述べよというのが編集部からの依頼です・・・」
それでは、途中を引用。
「テレビ局が制作放送にかける電力も巨大な量ですし、各家庭の受像機も大量の電力を食っている。それほど節電が緊急だと思うなら、テレビ放送そのものを抑制すればいいというアイディアは誰も出さないのですか。『クーラーの設定温度を調整して、なんとか乗り切りましょう』とか被害者面(づら)して言うんじゃなくて、各局で話し合って放送しない時間を設定すればいいじゃないですか。電車を間引き運転したり、駅のエスカレーターを止めたりすれば、ダイレクトに市民生活に影響が出ます。そのせいで生活に支障が出る人はたくさんいる。でも昼間のテレビ放送なんかチャンネルが二つ三つ減ったからと言って、それで市民生活に深刻な支障が出て困る人なんかいないでしょう?電車やエスカレーターを止めるぐらいだったら、まずテレビを止めればいい。僕が子どもの頃はテレビ放送は朝と夕方以降だけでした。昼間はテストパターンが流れていた。それでいいじゃないですか。午後2時が消費電力のピークだというなら、午後2時前後に交替で放送を自粛すれば、ずいぶん節電になるんじゃないですか。・・・だいたい、国民が今、一番知りたがっている震災や原発についてのニュースは、どの局も官邸、東京電力、原子力安全・保安院といったソースからの情報をそのまま流しているし、その分析解説に局ごとの個性や特色があるわけでもない。みんな横並びじゃないですか。だったら民放とNHKを合わせて6局も7局も要らないじゃないですか。テレビの人たちは『テレビ局はこんな数要らない』ということをもうわかっていると思います。」

内田氏の最後の方に、
「1970年代以降、マスコミの知的劣化が始まり、止まらなくなった。・・・」
そして最後に
「自己点検できる、つまり自分の失敗を吟味して、そこから学習できることこそ知性の証です。中立・公正で、誤報や事実誤認は決してしていないと言い抜けるメディアは端的に反知性的なのです。日本のマスメディアの再生の道はもう一度『知性的』とはどういういことかを熟慮するところにしかないと僕は思います。」
内田樹氏のつぎには神足祐司氏。
神足氏の最後の箇所。

「原発事故後の新聞紙面を見ればいい。原子炉の図解があり、放射線表があり、あらゆる専門家のコメントがあり、それでいて、とっくの昔にメルトダウンしていた事実を伝えるのは後回し。あとは個々人が判断するしかないって?わかりにくい隠蔽競争をしておいて、判断などできるか?お分かりでしょう。ニュース記事や番組が何を伝えているのかわからなかったのはあなただけではない。書いたり、しゃべったりしている当のマスメディアが、悲しいほどにわかっていなかったのだ。」


森田実氏の文もありました。そこから

「官僚を排除した『政治主導』を掲げてきた菅内閣は、官僚を全く使いこなせていない。こうした問題を追及している大マスコミを私は知らない。
さらに言えば原発事故のすべての責任を東電に押し付けている菅政権の姿勢に疑問を呈する報道もほとんどない。」
コメント
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