和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

大川小と釜石の小学校。

2011-07-15 | 短文紹介
中央公論8月号に
「なぜ大川小学校だけが大惨事となったのか」と題して菊池正憲氏が書いておりました。
副題には「津波で全校児童の七割が犠牲に」とあります。
大川小学校については、テレビで断片的に知らされていたので、具体的な様子を知りたいと思っておりました。
では菊池氏の文から

「海岸から四キロ離れた大川小には、もともと大津波が来ると想定していなかった」(p169)
宮城県石巻市の釜谷地区にある大川小学校です。
「市の防災計画やハザードマップでも、釜谷での大津波は想定されていませんでした」(p172)

助かった親子の言葉として、
「釜谷は300年以上、津波が来ていなかったと言われた地区で、五十年前のチリ地震津波でも被害はなかった。津波への警戒心は薄く、実際に地元住民も多数亡くなっているんです。あの裏山は急傾斜で、低学年の子では登れないと思います。私も息子もたまたま助かっただけです。・・・」(p171)

具体的な記述としては
「大川小は津波の際の市の避難場所に指定されているし、校庭に出るのがまずは最善と思われた。だが、この直後、現場にいた11人の教員たちは・・・このまま校庭に居続けるか、津波を想定して逃げるとすればどこに避難すれば良いのか、すぐに結論が出なかったのだ。校舎の西脇にある裏山に逃げるべきだとの声も出たが、『倒木や雪がある。余震も続いている』などと異論が出た。鉄筋コンクリート二階建てで高さが10メートルある大川小に屋上がなかったことも、選択肢を狭めた。・・・」(p167)
ちなみに、校長先生は不在だった。


畑村洋太郎氏の対談で、畑村氏は岩手県釜石市の小学校について、こう語っているのでした。

「釜石市の小学校では、群馬大学の片田敏孝教授の防災教育が見事に功を奏して、学校にいた児童は全員助かりました。児童たちに日頃から津波がどんなものかを自分の頭につくり上げる教育をした上で、『想定を信じるな』『その状況下で最善の避難行動をとれ』『率先避難者であれ』と教えてきたのです。児童たちは、自分の判断で真っ先に避難をした。
今回の津波は、想定を超えた津波によって備えが役に立たなかったという単純な話ではなく、詳細に見ていくと、やはり防潮堤があったこと、子供への教育や連作網があったことなどが被害を軽減した側面は大いにあるのです。・・・何が機能しなかったのか。それらの理由は何か。そういうことをきちんと検証していかなければなりません。」(p87・潮8月号)
コメント
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