和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

読みたいと思うもの。

2011-07-19 | 短文紹介
暑いと本など読みたくないなあ。
読むと、暑さを忘れさせてくれるのがあれば読むよなあ。
というので「方丈記」。短いのがいい。
ところどころつまみ読みしてもいい。
出だしは
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」
参考書を読むと、つぎにある
「世中にある人と栖(しみか)と」というのが方丈記の肝心なキーワードということです。さてっと、
毎日新聞今週の本棚(7月10日)に荒川洋治の書評で、ボルヘス著「詩という仕事について」(岩波文庫)があったので、さっそく注文しておいたのでした。それをぱらぱらと読んでおります。するとこんな箇所がありました。

「・・・『時と河について』という単純な表題の小説もまた存在します。二つの単語を並べるだけで、隠喩になっているのです。時と河、これらは共に流れるものです。そしてさらに、ギリシャの高名な哲学者の文章があります。『いかなる人間も、同じ河に二度入ることはできない』・・・・マンリケによる、次のような詩もあります。
『われわれの生は河、死という海にいずれ注ぐ』 」(p41~42)


ところで、この「詩という仕事について」の最初のページにこうありました。

「実際には、皆さんにお教えするようなことは、私には何もありません。私はこれまで書物を読み、腑分けし、書き(もしくは書こうと試み)、楽しんでもきました。そしてこの最後の行為こそが、何よりも大切なものであることを悟りました。・・・」


あれ、こんな箇所もありました。

「時折りですが、我が家にある沢山の本を眺めていると、読み尽くすことができずに死を迎えるだろうという気がします。しかし、それでも私は、新しい本を買うという誘惑に勝てません。・・・」(p17)

第6章「詩人の信条」の始まりの方に、あの言葉がありました。

「事実、私は試論のすべてを、一篇の詩を物するための単なる道具と考えています。」

「私は自分を、本質的に読者であると考えています。皆さんもご存知のとおり、私は無謀にも物を書くようになりました。しかし、自分が読んだものの方が自分で書いたものよりも遥かに重要であると信じています。人は、読みたいと思うものを読めるけれども、望むものを書けるわけではなく、書けるものしか書けないからです。」(p141~142)
コメント
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