和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

顰蹙(ひんしゅく)を買う。

2011-07-29 | 短文紹介
梅原猛氏は語ります。

「・・年齢を重ねると、思い切ったことを語ることができます。誰にも遠慮せずに、今の日本の置かれた真実を語ることが必要です。日本のために、人類のために。私はこの対談は一世一代の対談になると思う。だから人の顰蹙(ひんしゅく)を買うようなことでもはっきりと言います。」

ちなみに、はじまりは

「あの三月十一日以来、『東日本大震災』に対して、どうしても語っておきたいことがあって、話をするなら寂聴さん以外にないと思って、私から対談を申し入れたんです。・・」

こうして新書の「生ききる。」は、はじまっておりました。

第二章は、「仏教に今、何ができるのか、心を癒すということ」。

そのはじまりで梅原氏は

「私はやはり仏教が立ち上がるべきだと思います。
私は日蓮の『地涌(じゆ)の菩薩』に注目します。・・・
大地から涌き出てくるという考えです。・・
今、被災者のことを考えると、彼らこそ『地涌』の菩薩そのものなんです。だから必ず、地から涌き上がる力を持っている。私はそう考えます。」(p52)

「行基や空也上人はね、天災や戦さで死んだ人たちの屍を供養した。この行基・空也のような活動を仏教はやってほしい。」(p53)

「また一遍その人自身も、病者を救ったりといろいろするけど、特に二祖の遊行(ゆぎょう)上人、真教(しんきょう)は一遍の教えを実行した人です。この人は敦賀の気比神社で土木工事をしている。水害で沼になっている参道に土を運んで来て埋め立てます。『遊行上人縁起絵巻』を見てたら、モッコ担いだり、土をならしたりと、土木工事そのもの。詞書を読むと、貴い人も俗人も、僧も遊女も手伝ったとある。さらに沼に住む亀が開発されると我々の住む所がなくなると、上人の夢枕に立って文句を言うと、『さらば人間にしよう』と言って亀を人間にしたといいます。・・・」(p60~61)


「行基や空也上人の精神というのは実に尊い。昔は道に行き倒れという人は多かったと思う。そういう行き倒れの人を葬り、弔う。鎮魂が仏教のもっとも大切な仕事です。行基の弟子の志阿弥(しあみ)という人物、この人は火葬を最初にした聖(ひじり)といいいます・・・」(p63)

瀬戸内さんは語っています。

「法然や親鸞の教えをまっとうに守っていたら、あんなにすごいお寺が建つはずないですよ。乞食僧であるべきですよ。一遍の一党はお金ないですよ。時宗は今もほとんどお寺ないでしょ。あっても小さなお寺。」(p75)


第三章は「『日本人』のアイデンティティとは何か」。
そこでの二人のやりとりをすこし切り取ってみます。


梅原】 ・・・今、天皇陛下が被災地をお回りになっています。鎮魂の役割を果たしている。象徴天皇というのは、『鎮魂する人』という意味かもしれません。
瀬戸内】 天皇陛下と美智子皇后が、必ず現地にいらっしゃいますね。すごいことだと思います。これまでも必ず災害があった所に駆けつけてこられた。お二人とも膝をついて、目線を被災者と同じにして、そしてやさしく声をかけたりしていらっしゃるでしょ。・・・・もうお歳で、天皇陛下はご病気でしょ。美智子皇后もこの頃お身体弱っていらっしゃいますよ。でも必ず駆けつけられるのね。
梅原】 日本人が代々やってきた怨霊の鎮魂という、そういうことを今の天皇陛下がおやりになっている。
瀬戸内】 象徴天皇はいかにあるべきかを、身をもって探っていらっしゃるし、示されているということです。・・・天皇と皇后のああいうお姿は、忘己利他とは何かというと、まさにあれです、と説明できる。あのお姿が忘己利他ですよ。けれど心配です。若い時はともかく、あのお歳じゃ大変ですよ。そして日帰りでしょ、飛行機で行って帰ってくる。翌日は起き上がれないでしょうね、きっと。
梅原】 天皇がいらっしゃると誰でもありがたいと思うんです。立ち直る元気が出てくる。不思議な力、私は日本の天皇制が、今、ここで生きていると思う。
瀬戸内】 庶民は『畏(おそろ)しき存在】が欲しいんです。
梅原】 やっぱり何かシンボルがいるんですよ。今度ほど、そういうものが必要な時はないんじゃないかな。 (p88~89)


う~ん。あとは端折っていきましょう。


「『源氏物語』は貴族の雅やかな生活を描いた素晴らしい文学、能は庶民の哀しさをとことん追及している。『源氏』と能、対極にあるこの二つの文学を知ることで、私は日本の文学が初めてわかると思う。」(p96)

こう梅原氏は語っておりました。そして

「日本が詩の国だということはとても素晴らしいことです。
中国も詩の国だけどちょっと違うんですね。日本の詩は抒情詩です。中国の漢詩は自分の思想を詠うんですよ。それも素晴らしいけど、日本のものはなんかこう、滅びゆく人生の真実を詠ったような、滅びゆくものへの哀しみという・・・。」(p103)


第四章は「『源氏物語』の新しい読み方、苦難を乗り越えるために」
第五章は「震災後のめざすべき日本、よみがえりの思想」
で終っておりました。

まえがきは瀬戸内寂聴。
あとがきが梅原猛。

3月11日からのひかりが、日本の歴史を貫通してゆくような、
そして、さまざまな補助線がむすばれてゆくような、
そんな手ごたえ。
鮮やかな日本歴史への、むすびつきをいざない、
読書への道筋を、照らし出していただいた。
さあ、私は方丈記につづいて、能を読もう。
コメント
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