和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

とうとい。

2011-07-11 | 短文紹介
潮8月号が出ていたので、買いました。
ちなみに、中央公論8月号を注文。
週刊誌は、もういいや。買わないことにします。
潮には、内田樹氏が六ページほどの文を寄稿していたので、まず、そこを読んでみました。内田氏は、阪神大震災の被災者だったのですね。知りませんでした。そこをすこし引用。

「1995年の阪神・淡路大震災で被災したとき、私は住む家を失い、怪我を負ったが、翌日から大学の瓦礫撤去の土木作業に従事した。手で浜辺の砂をすくうようなエンドレスの労働だったが、再建作業に集まってきた教職員学生の顔は思いがけなく明るかった。人々はみな微笑みを絶やさず、互いに声をかけあい、気遣い合った。声を荒立てるものも、うるさく命令するものも、不満をかこつものもそこにはいなかった。・・・・手の付けようのないほどの混乱に遭遇したときには、まず自分の手元、足元を片づけるところから始めること。自分で決めたルールに従って、規則正しく、できれば機嫌よくその仕事を果すこと。それをそのときに学んだ。・・・」(p70)

この内田氏の文は印象に残ります。

印象に残るといえば、
毎日新聞7月10日「今週の本棚」。
若島正の書評はクラフト・エヴィング商会「おかしな本棚」。
荒川洋治書評のボルヘス「詩という仕事について」(岩波文庫)。
この二つの書評を読みました。
たとえば、荒川氏の書評に、こんな引用があります。

「『私は詩論のすべてを、一篇の詩を物するための単なる道具と考えています』といったことばも、とうとい。こんなことをさらりといってくれる人はいないからだ。」

「『自分が読んだものの方が自分で書いたものよりも遥かに重要であると信じています』も、読むことを支柱に生きた人のことばだ。」


「とくに新しい詩論が展開されているわけではない。それなのに読む人の視界が一気にひろがるように思えるのは、ボルヘスが他のことは切り捨て、だいじな点にしぼって確認しているからである。」

この岩波文庫も注文。
コメント
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