和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

雑誌編集家。

2011-07-31 | 短文紹介
草森紳一著「記憶のちぎれ雲」(本の雑誌社2940円)。
7月24日毎日新聞「今週の本棚」に、(門)の短評。
これが気になって新刊を購入。
装幀・各章扉は和田誠。

さてっと、(門)の書評では、
「圧巻は【中原淳一・葦原邦子】の章。」とあります。
その圧巻を読みました。よかった。
「記憶のちぎれ雲」には副題として「我が半自伝」とあります。
ほんのすこしなのに、草森氏御自身がスパイスとして
味わいに深みを与えておりました。読めてよかった。

そういえば、四国を思いました。
新書「生ききる。」に

梅原】 徳島っていうと富士正晴を思い出す。
瀬戸内】 富士さんは人と人を結ぶのがお上手で、富士さんって何者って言われたら位置的に難しいんですね。小説も書いてる、評論もしてる、絵も書も描く。編集者でもある。何でもできちゃう人だから。・・・(p108)

富士正晴が、徳島ならば、
中原淳一は、香川県生まれ。

淳一の息子洲一の質問が載っております。

「洲一は、なにをやっても卓越した父の万能ぶりに疑問を抱き、『結局、あなたは何という専門家であり、生涯の仕事とは何なのですか』ときいてみたことがあるらしい。
返ってきた答は、『雑誌編集家』であった。編集者ではなく、作家的なおそるべき編集家なのである。」(p196)

さて、草森紳一です。

「中原邸を辞すと、まっさきに考えたのは、ああ、俺は編集者に向いていないな、やめてしまいたい、という弱音だった。私は入社そうそう、一日目にしてやめたいと思い、三年の編集者生活の中でも、五回はそう思ったが、この事件の時も、その中の一回のうちに入る。」(p210)


(門)さんの書評がよかったんです。
あまりによいので、以下に前文引用。

「草森紳一(1938―2008)未刊行の人物論。若き日、1960年代に出会った真鍋博、古山高麗雄、田中小実昌、伊丹十三らの回想。圧巻は『中原淳一・葦原邦子』の章。十分な前置きもないまま、白い邸宅の間取りからはじまり、読む人にも書く本人にも、それからの展開がわからないという『展開』。中原淳一が階段から『吹矢』のように飛ばした、妻・邦子へのひとことへ進み、家族の深淵にたどりつく。とはいえこんな無謀、無計画なエッセイを読んだことのある人は少ないだろう。一見、筆の流れのままに進む。だがそこには、独自の意識と節理がはたらく。発見と感動の空気がきらめくのだ。その軽やかさ、自在さ、美しさ。日本のエッセイの世界をひろげる、珠玉の文集。」

私はこの書評で、本を買い。
『中原淳一・葦原邦子』の章を読んだというわけでした。
コメント
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