「正論」8月号。そこに、古森義久の文あり。
そこから、引用。
「米側の大手メディアは徹底した検証報道を続けてきた。この熱心さは当然ながら日本の政治や政治家としての菅氏への関心ではない。日本の政府の原発事故への対応上のミスや不備はアメリカにとって、重大な他山の石である。日本が原子力発電の不測の事態にどう対応したかはアメリカ全体にとって真剣な関心事なのだ。
この角度からの米側の報道ではニューヨーク・タイムズ6月13日付の東京発の長文の記事が象徴的だった。・・・記事の要旨は次のようだった。『原発が水素爆発を起こしてすぐ、菅首相は原子炉の冷却に海水を注入することのリスクについて補佐官たちに質問した。菅氏は自らの政治経歴を産業界と官僚の癒着に疑惑を抱くことによって築いてきたともいえる。そのうえに東京電力への深い不信を抱いていた。だから海水の注入についてもどの報告をも信用せず、その結果、確実なことはなにもわからない状態にあった。・・・・・菅首相は首相府に1986年から存在した危機管理システムの【内閣安全保障室】(後に「安全保障・危機管理室」)を無視することを決めた。そのかわりに各省や民間から自分で選んだ少人数のアドバイザーの集まりに危機への対応を任せようとした。だがこのアドバイザーたちはこの種の危機対応の経験が少なく、危機管理の手段の全体像をつかんでもいなかった。その結果、菅首相自身が原発関連の危機の深刻さや規模をきちんとつかむことができなかった』
その種のレポートがきわめて詳細に、しかも当事者たちからの直接の取材をもとに書かれていた。このニューヨーク・タイムズの記事から浮かぶまず最大のイメージ、というより実像は、やはり菅直人氏の欠陥であり、過誤だった。こうした菅氏の危機管理上での遅れや過ちは、ワシントン・ポストでもワシントン・タイムズでも同様に細かく報じられた。そのうえでの今回の不信任決議案の騒ぎだったのだ。だから米側のメディア全体の論調がきわめて辛辣で冷淡であることは当然の帰結でもあった。」(p71~72)
現代版大本営発表である、NHKや朝日新聞を見ているだけでは、この米側メディアの報道検証が伝わらずに、モヤモヤとぼかされるのであります。報道から「真剣な関心事」を選ぶこと、それが痛感されるのでした。
そこから、引用。
「米側の大手メディアは徹底した検証報道を続けてきた。この熱心さは当然ながら日本の政治や政治家としての菅氏への関心ではない。日本の政府の原発事故への対応上のミスや不備はアメリカにとって、重大な他山の石である。日本が原子力発電の不測の事態にどう対応したかはアメリカ全体にとって真剣な関心事なのだ。
この角度からの米側の報道ではニューヨーク・タイムズ6月13日付の東京発の長文の記事が象徴的だった。・・・記事の要旨は次のようだった。『原発が水素爆発を起こしてすぐ、菅首相は原子炉の冷却に海水を注入することのリスクについて補佐官たちに質問した。菅氏は自らの政治経歴を産業界と官僚の癒着に疑惑を抱くことによって築いてきたともいえる。そのうえに東京電力への深い不信を抱いていた。だから海水の注入についてもどの報告をも信用せず、その結果、確実なことはなにもわからない状態にあった。・・・・・菅首相は首相府に1986年から存在した危機管理システムの【内閣安全保障室】(後に「安全保障・危機管理室」)を無視することを決めた。そのかわりに各省や民間から自分で選んだ少人数のアドバイザーの集まりに危機への対応を任せようとした。だがこのアドバイザーたちはこの種の危機対応の経験が少なく、危機管理の手段の全体像をつかんでもいなかった。その結果、菅首相自身が原発関連の危機の深刻さや規模をきちんとつかむことができなかった』
その種のレポートがきわめて詳細に、しかも当事者たちからの直接の取材をもとに書かれていた。このニューヨーク・タイムズの記事から浮かぶまず最大のイメージ、というより実像は、やはり菅直人氏の欠陥であり、過誤だった。こうした菅氏の危機管理上での遅れや過ちは、ワシントン・ポストでもワシントン・タイムズでも同様に細かく報じられた。そのうえでの今回の不信任決議案の騒ぎだったのだ。だから米側のメディア全体の論調がきわめて辛辣で冷淡であることは当然の帰結でもあった。」(p71~72)
現代版大本営発表である、NHKや朝日新聞を見ているだけでは、この米側メディアの報道検証が伝わらずに、モヤモヤとぼかされるのであります。報道から「真剣な関心事」を選ぶこと、それが痛感されるのでした。