和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

我が国のこのたびの実例。

2011-07-12 | 他生の縁
産経新聞7月12日を読むと、菅直人を知るためのレッスンとなっておりました。総合欄「単刀直言」で鳩山由紀夫前首相は、こう語っております。

「菅直人さんは、私が首相のときに副総理として、何度も『厳しい局面に立たされたら、別の大きなテーマを示せば、そちらに国民の目が向いて局面を打開できるんだ』と進言してきました。・・・今も同じなのか、思い付きのように別の話をすっと作るのは上手です。・・・」


さて、「正論」欄は古田博司氏が書いておりました。
題して「民主主義なき市民運動の果てに」。

ところどころ、はしょって引用していきます。

「・・・2010年3月16日、参議院内閣委員会で、政治的指導力に関する自民党の古川俊治氏の質問に、当時、鳩山由紀夫政権の財務相だった菅氏は、あまりにも途中で政権が代わりすぎるのはよくない、よほどのことがなければ4年間任せるべきだとし、語弊があるかもしれないが、と前置きしながら、『議会制民主主義というのは、期限を切った、あるレベルの独裁を認めることだ』と述べていた。」

「・・・根本問題は、左派知識人たちが読み替え続けたイデオロギーに、そもそも民主主義が欠如していたことではなかったか。菅政権の支持率急落の契機は、2010年9月7日の尖閣諸島沖中国漁船衝突事件だ。国民の知る権利を途絶して『地球市民の平和社会』を守るべくビデオを隠匿、外務省を無視して中国当局と個別折衝に入るという驚くべき専横は彼らの言葉では『政治主導』だった。菅首相の場合は、『政治主導』は『独裁』の域に達してはいないか。東日本大震災で10万人もの自衛隊員に出動を命ずるのに安全保障会議を開かずに法律を無視、閣議決定を経ず関係省庁・電力会社にも通告せず突如、浜岡原発の停止を要請、被災地の国民支援に遅滞して訪問先の避難所で『もう帰るんですか』の怒声を背に浴びた。公論衆議を途絶する行為をわが国では独裁というのである。」

最後も、引用させてください。

「もちろん・・・市民運動派は今日の国民の権利意識を育んできた。
だが、運動が目的である運動家たちがひとたび国家権力を掌握したときに、民主主義から最も乖離した独裁を行うようになってしまうという我が国のこのたびの実例を思うにつけ、我が国の市民運動の基底にそもそも民主主義の概念があったのか、という疑念をどうしても払拭できないのである。」



ついでに、新聞一面「歴史の交差点」での山内昌之氏の文のこの箇所も引用。

「・・カリスマは、大衆を動員するのに慣習や手続きを無視し、あるいは合理的判断を必要としない政治的力量に恵まれているので、迅速な対応を必要とする危機的状況には有効な指導者とされてきた。
震災や原発事故を収拾できない菅氏は、人を魅了する資質に欠けるだけでなく、内政や外交の懸案に切り込むほどの豪胆さや政治的力量を持ち合わせていないため、顔をいくらこわばらせても滑稽な印象しか人に与えない。そもそも民主党内さえまとめられず、信服する党や国対の幹部もいない・・首相ひとりがカリスマであるはずもない。」

山内氏の文の最後は、

「カリスマ的人物は秩序を創造する感情の独裁者にもなれば、渾沌状態をいっそう悪くすることもある。ひょっとして菅氏のことだから、日本政治を無政府状態に追いこんだ【自己過信のカリスマ性】に酔って、独善的な脱原発解散に打って出ないともかぎらない。民主党の閣僚や党幹部も、そろそろ連袂(れんぺい)辞職など腹をくくるときが来たのではないか。」

うん。「連袂辞職」か。
ちなみに、「連袂」を辞書でひくと「(たもとを連ねる意)何人かの人がそろって同じ・進退(行動)をすること。・・」

そういう「民主党の閣僚や党幹部」がいるかどうか。
固唾をのんで待つ。
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