岩波文庫「方丈記」を読んでも、ちんぷんかんぷん。
ということで、三省堂の新明解古典シリーズ「大鏡 方丈記」(監修・桑原博史)をひらく。本文に続く解説欄を読んで納得しながら、分かった気分。つづいて堀田善衛著「方丈記私記」をぱらぱらとめくっておりました。
ということで、とりあえず手にとったのは
岩波文庫「方丈記」
新潮古典文学アルバム「方丈記・徒然草」
三省堂新明解古典シリーズ8「大鏡・方丈記」
堀田善衛著「方丈記私記」
ここでは、堀田善衛の本から
「・・・長明の青春は惨憺たる時代におかれたものであったとは、言って過言ではない。はじめの火事騒ぎは、長明25歳の時、その次の大風は28歳の時、都遷りという祭事的災禍の時は同じく28歳、大飢饉は29、30歳の時、最後の三ヵ月にわたる連続大地震は、33歳の時である。この間の戦乱、群盗跋扈などの不安はさておくとしても、これらのすべては平安期という一つの大時代が地底から揺り動かされ、音をたて砂煙をまきたてて崩壊して行くことの、一つ一つの表徴なのでもあった。・・・この連続大地震の政治・社会のこととしての背景として記しておかなければならいのは、前々の福原遷都事件の年の8月には頼朝挙兵のことがあり、二年連続大飢饉の間を通じて源平の戦いが断続的に行われ、木曽義仲までが横から暴れ込んだりして、元暦二年(文治元年)7月9日正午の大地震までの間には、平家はすでに完全に滅亡して5月には建礼門院右京大夫は出家し、頼朝と義経の間柄は、すでに、次第に雲行きが怪しくなっているのである。朝廷は右往左往、義仲、平家、頼朝などにほとんど交替交替にあいつを討てと命じ、宣旨の取消しがなかったとしたら、誰と誰と誰がなぜ戦っているのかわけがわからなくなる。しかもなお、そういう乱戦の間を通じて若き定家の父俊成は、千載和歌集の撰をつづけているのである。・・・・政治はあたかも第二の人間地震でもあるかのように、『大地にいたりては異なる変をなさず』どころか、二重地震が、地と人間の双方を揺すぶりかえしている様がありありと見えて来る。・・・」(「四、古京はすでに荒れて、新都はいまだ成らず」)
「・・・『世中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。』というところへかかって行くものであったからである。水の話や泡の話ではない、人の住む住居の話なのであった。人の世の無常は『ゆく河の流れ』や『淀みに浮ぶうたかた』に托されているのではなく、それをうけた人と家、住居に托されているものであった。」
こうある「八 世中にある人と栖と」の章も面白いなあ。仮設住宅というか、組み立て住宅の話になってゆくのでした。
ということで、三省堂の新明解古典シリーズ「大鏡 方丈記」(監修・桑原博史)をひらく。本文に続く解説欄を読んで納得しながら、分かった気分。つづいて堀田善衛著「方丈記私記」をぱらぱらとめくっておりました。
ということで、とりあえず手にとったのは
岩波文庫「方丈記」
新潮古典文学アルバム「方丈記・徒然草」
三省堂新明解古典シリーズ8「大鏡・方丈記」
堀田善衛著「方丈記私記」
ここでは、堀田善衛の本から
「・・・長明の青春は惨憺たる時代におかれたものであったとは、言って過言ではない。はじめの火事騒ぎは、長明25歳の時、その次の大風は28歳の時、都遷りという祭事的災禍の時は同じく28歳、大飢饉は29、30歳の時、最後の三ヵ月にわたる連続大地震は、33歳の時である。この間の戦乱、群盗跋扈などの不安はさておくとしても、これらのすべては平安期という一つの大時代が地底から揺り動かされ、音をたて砂煙をまきたてて崩壊して行くことの、一つ一つの表徴なのでもあった。・・・この連続大地震の政治・社会のこととしての背景として記しておかなければならいのは、前々の福原遷都事件の年の8月には頼朝挙兵のことがあり、二年連続大飢饉の間を通じて源平の戦いが断続的に行われ、木曽義仲までが横から暴れ込んだりして、元暦二年(文治元年)7月9日正午の大地震までの間には、平家はすでに完全に滅亡して5月には建礼門院右京大夫は出家し、頼朝と義経の間柄は、すでに、次第に雲行きが怪しくなっているのである。朝廷は右往左往、義仲、平家、頼朝などにほとんど交替交替にあいつを討てと命じ、宣旨の取消しがなかったとしたら、誰と誰と誰がなぜ戦っているのかわけがわからなくなる。しかもなお、そういう乱戦の間を通じて若き定家の父俊成は、千載和歌集の撰をつづけているのである。・・・・政治はあたかも第二の人間地震でもあるかのように、『大地にいたりては異なる変をなさず』どころか、二重地震が、地と人間の双方を揺すぶりかえしている様がありありと見えて来る。・・・」(「四、古京はすでに荒れて、新都はいまだ成らず」)
「・・・『世中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。』というところへかかって行くものであったからである。水の話や泡の話ではない、人の住む住居の話なのであった。人の世の無常は『ゆく河の流れ』や『淀みに浮ぶうたかた』に托されているのではなく、それをうけた人と家、住居に托されているものであった。」
こうある「八 世中にある人と栖と」の章も面白いなあ。仮設住宅というか、組み立て住宅の話になってゆくのでした。