畑村洋太郎著「危険な学校」(潮出版社)の最後に、こんな箇所がありました。
「昔、三陸では多くの人が津波で亡くなりました。1896年の三陸大津波における死者の数は約22000人にのぼり、これ以降、どこの地域でも津波の発生を想定して人々が一気に裏山に駆け上がる避難訓練を行っていました。ところがこの避難訓練の回数は、津波の被害の記憶が薄れるにつれて減り、以前は年三回行っていたのが、いまでは年一回になっています。再び大きな津波がこないかぎり、このままいくとそのうちに避難訓練がまったく行われなくなるかもしれません。これは誰が悪いとかそういうことではなく、もともと事故や災害の記憶というのは時間の経過によって薄れやすく、それとともに人々の備えがおろそかになっていくのは世の常なのです。・・・・・
津波の避難訓練の例でいうと、たとえば運動会などの学校行事に、裏山を一気に駆け上がる競技を取り入れることを私は提案します。子どもたちに意味合いをちゃんと教え、達成したときになにかしらのご褒美を与えるようにしたら、これは子どもたちにとって楽しい行事になります。そしてこれを何年、何十年もやり続けたら、その地域に住む大多数の人には津波から身を守る術(すべ)が自然に身についていくでしょうし、まさしくそれが津波の知識が文化になっている状態なのです。子どものときに教わったことは、大人になってからも意外と覚えています。・・・」(p198~199)
ちなみに、この本のあとがきの日付をみると、2010年2月となっておりました。
さてっと、潮8月号に畑村洋太郎・郷原伸郎対談「『地震・津波・原発』危機管理の失敗学」(p84~89)が読んで印象深かったのでした。
「昔、三陸では多くの人が津波で亡くなりました。1896年の三陸大津波における死者の数は約22000人にのぼり、これ以降、どこの地域でも津波の発生を想定して人々が一気に裏山に駆け上がる避難訓練を行っていました。ところがこの避難訓練の回数は、津波の被害の記憶が薄れるにつれて減り、以前は年三回行っていたのが、いまでは年一回になっています。再び大きな津波がこないかぎり、このままいくとそのうちに避難訓練がまったく行われなくなるかもしれません。これは誰が悪いとかそういうことではなく、もともと事故や災害の記憶というのは時間の経過によって薄れやすく、それとともに人々の備えがおろそかになっていくのは世の常なのです。・・・・・
津波の避難訓練の例でいうと、たとえば運動会などの学校行事に、裏山を一気に駆け上がる競技を取り入れることを私は提案します。子どもたちに意味合いをちゃんと教え、達成したときになにかしらのご褒美を与えるようにしたら、これは子どもたちにとって楽しい行事になります。そしてこれを何年、何十年もやり続けたら、その地域に住む大多数の人には津波から身を守る術(すべ)が自然に身についていくでしょうし、まさしくそれが津波の知識が文化になっている状態なのです。子どものときに教わったことは、大人になってからも意外と覚えています。・・・」(p198~199)
ちなみに、この本のあとがきの日付をみると、2010年2月となっておりました。
さてっと、潮8月号に畑村洋太郎・郷原伸郎対談「『地震・津波・原発』危機管理の失敗学」(p84~89)が読んで印象深かったのでした。