注文してあった吾妻書房の福原麟太郎著「かの年月」が、今日届く。古本が500円と、送料が185円。福原麟太郎の日記です。
「この日記は昭和19年の10月から、翌20年の10月に至るもの・・」とあり、「前半20年2月末までのはこんど始めて発表するもの」とあります。
ちなみに、研究社の「福原麟太郎著作集 8」(随筆Ⅳ 日記・芸能)は昭和44年発行。そして、この吾妻書房「かの年月」は昭和45年。そのまえがきは、こうはじまっておりました。
「この間の戦争の最後の一年の日記を、ことによったら、何かの役に立つかも知れない、すくなくとも、一種の記録としては意味があるかも知れないと思って、まとめてみた。私自身驚いたことは、警報がいつ出て、いく解除になったかを、よくこんなに丹念に書きとめたものだということであった。どうしてその時間を覚えていたのか、思い出せない。メモに取った記憶もない。おそらく警報のサイレンを一つも聞き逃してはいけないものであるという意識につきまとわれていたに相違なく、また空襲がいかにしつこく、いかにそのしつこい繰り返しによって、われわれの神経を痛めていたかを語るものであろう。・・・・」
比較にならないのでしょうが、
つい、身近な地震や津波の警報を思い描いてしまいます。
「この日記は昭和19年の10月から、翌20年の10月に至るもの・・」とあり、「前半20年2月末までのはこんど始めて発表するもの」とあります。
ちなみに、研究社の「福原麟太郎著作集 8」(随筆Ⅳ 日記・芸能)は昭和44年発行。そして、この吾妻書房「かの年月」は昭和45年。そのまえがきは、こうはじまっておりました。
「この間の戦争の最後の一年の日記を、ことによったら、何かの役に立つかも知れない、すくなくとも、一種の記録としては意味があるかも知れないと思って、まとめてみた。私自身驚いたことは、警報がいつ出て、いく解除になったかを、よくこんなに丹念に書きとめたものだということであった。どうしてその時間を覚えていたのか、思い出せない。メモに取った記憶もない。おそらく警報のサイレンを一つも聞き逃してはいけないものであるという意識につきまとわれていたに相違なく、また空襲がいかにしつこく、いかにそのしつこい繰り返しによって、われわれの神経を痛めていたかを語るものであろう。・・・・」
比較にならないのでしょうが、
つい、身近な地震や津波の警報を思い描いてしまいます。