子供の眼
2011-07-04 | 地域
短歌で、気になっていたのがあります。
日本語の すでに滅びし 国に住み
短歌詠み継げる 人や幾人
これを最初に読んだときに、
私は、水村早苗著「日本語が滅びるとき」(筑摩書房)の題名を連想してしまったので、この国というのは、ひょっとして日本国のことかと、思ったりしたのでした。でもこれ「台湾短歌」のサイトの始まりにある短歌。
話題をかえます、
吉村昭著「三陸海岸大津波」(文春文庫)の第二章「昭和八年の津波」のなかに、「子供の眼」という箇所があり印象に残っております。
今度出た新刊「つなみ 被災地のこども80人の作文集」文藝春秋8月臨時増刊号は、この大津波を体験した小学生・中学生を中心に作文を掲載しております。地区別に掲載されているので、私ははじめて、どの地区がどのようだったのかの様子がわかった気がしました。
たとえば、石巻市の大街道小学校四年水越咲良さんの作文に
「いつもと変わらぬ教室で六時間目をむかえた。・・・・私は最初、父が来た。でもその日は父は当直の日で、ちょっと話して、すぐに行ってしまった。その後に母が来た。母は一緒に住んでいたおばあちゃんをむかえに行くため、戻った。その後だった。津波警報が放送で流れたから、二階に行った。そのとき何気に見た窓から、家とのすき間から水がサーとくるのが見えた。友達は『水だ!』とさけんでいた。次に三階の家庭科室に行った。すでに窓から見た体育館は水が入っていた。校庭もすべり台の上ぐらいまで来ていた。・・」(p62・難しい漢字は、ひらがなで書いてありましたが、それを直しておきました)
名取市 宮城県農業高校一年永山晶尊さんの文には
「小学校に着き、妹の教室に向かうと妹がそこにいた。・・家族全員が無事でいることを知って安心したのもつかの間、自分の耳に信じがたい言葉が入ってきた。『津波だ、津波がくるぞ、逃げろ、逃げろ』、自分は突然の出来事に言葉が出ずその場から動くことができなかった。すると母親が『早く逃げろ』というのだ。するとあれだけ言うことをきかなかった体がやっと言うことをきいてくれたのだ。・・・屋上にいてもなんら安心感はなく、このまま学校も津波で流されてしまうんではないかという不安で頭がいっぱいでした。」(p40)
この臨時増刊号の「はじめに」は森健氏が書いておりました。
題は「『子供の眼』が伝えるもの」。
そこに、こうありました。
「ヒントになったのが故吉村昭氏の『三陸海岸大津波』だ。同書は過去三度の津波被害を丹念な取材で記録した作品だが、その中に『子供の眼』という章がある。・・・・」(p11)
日本語の すでに滅びし 国に住み
短歌詠み継げる 人や幾人
これを最初に読んだときに、
私は、水村早苗著「日本語が滅びるとき」(筑摩書房)の題名を連想してしまったので、この国というのは、ひょっとして日本国のことかと、思ったりしたのでした。でもこれ「台湾短歌」のサイトの始まりにある短歌。
話題をかえます、
吉村昭著「三陸海岸大津波」(文春文庫)の第二章「昭和八年の津波」のなかに、「子供の眼」という箇所があり印象に残っております。
今度出た新刊「つなみ 被災地のこども80人の作文集」文藝春秋8月臨時増刊号は、この大津波を体験した小学生・中学生を中心に作文を掲載しております。地区別に掲載されているので、私ははじめて、どの地区がどのようだったのかの様子がわかった気がしました。
たとえば、石巻市の大街道小学校四年水越咲良さんの作文に
「いつもと変わらぬ教室で六時間目をむかえた。・・・・私は最初、父が来た。でもその日は父は当直の日で、ちょっと話して、すぐに行ってしまった。その後に母が来た。母は一緒に住んでいたおばあちゃんをむかえに行くため、戻った。その後だった。津波警報が放送で流れたから、二階に行った。そのとき何気に見た窓から、家とのすき間から水がサーとくるのが見えた。友達は『水だ!』とさけんでいた。次に三階の家庭科室に行った。すでに窓から見た体育館は水が入っていた。校庭もすべり台の上ぐらいまで来ていた。・・」(p62・難しい漢字は、ひらがなで書いてありましたが、それを直しておきました)
名取市 宮城県農業高校一年永山晶尊さんの文には
「小学校に着き、妹の教室に向かうと妹がそこにいた。・・家族全員が無事でいることを知って安心したのもつかの間、自分の耳に信じがたい言葉が入ってきた。『津波だ、津波がくるぞ、逃げろ、逃げろ』、自分は突然の出来事に言葉が出ずその場から動くことができなかった。すると母親が『早く逃げろ』というのだ。するとあれだけ言うことをきかなかった体がやっと言うことをきいてくれたのだ。・・・屋上にいてもなんら安心感はなく、このまま学校も津波で流されてしまうんではないかという不安で頭がいっぱいでした。」(p40)
この臨時増刊号の「はじめに」は森健氏が書いておりました。
題は「『子供の眼』が伝えるもの」。
そこに、こうありました。
「ヒントになったのが故吉村昭氏の『三陸海岸大津波』だ。同書は過去三度の津波被害を丹念な取材で記録した作品だが、その中に『子供の眼』という章がある。・・・・」(p11)