和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

勝手口から。

2013-03-03 | 短文紹介
曽野綾子著「不幸は人生の財産」(小学館)をパラリとひらいて、うしろから読み始める。とりあえず、後半の第3章と第4章を読みました(笑)。何やら、家でいうなら、玄関から入らずに、勝手口から、この家の結構を覗きみしたような気分になります。

ということで、そのご報告(笑)。

たとえば、こうあります。
「誰もあまり信じないのだが、アフリカは私にとって暮らし易い環境だった。・・・私に関してはそういう土地が肌に合っていた。」(p247)
という文章の最後に、こんな箇所がありました。
「私は安全で、すみずみまでよく整備された日本に帰ってきた。その思いがいつも帰国したての私の感謝と歓びで満たすのである。・・・何より電圧が安定していて、隅々まで十分に明るい。マダガスカルでは日常茶飯事の停電も断水も、ここには全くない。これがこの上ない贅沢だということを、私だけが知っていると思うと、それだけで私は歓びに満たされるのである。」(p250)


この本は週刊誌に連載された文を再編集したものだとあります。期間は2010年8月13日号から2013年1月1日・11日合併号に隔週連載されたものでした。

もう一箇所引用するとしたら、ここかなあ。
東日本大震災がおこる前年の2010年11月26日、12月3日合併号に掲載された文の、それは最後にありました。


「途上国をよく知っている人なら誰でも、若い世代に対して次のように言うだろう。『何の理由もなく日本に生まれたというだけで、君たちの人生は半分以上成功だった。砲撃に遇う危険を冒して汲みに行ったり、重い思いをして運ばなくても、清潔な水が飲める。飢えもしないし、一円もなくても医療行為は受けられる。教育も国家がしてくれる』
日本にも時々大停電があって、大人から子供まで、充分に安全に供給されてる電気や水の恩恵を、骨身に染みて知る機会があったらいい、と私は本気で思っている。」(p133)

東日本大震災が起きて以降の、曽野綾子さんの連載文は、それから、どうつながっていたのか。それは、この本の玄関からはいって読み始めるお楽しみ(笑)。
コメント
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