和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

評論書が色褪せて見える。

2013-03-24 | 短文紹介
「新潮45」4月号に
太田啓之氏による「ガンダムか司馬遼太郎か」という6頁の文があるのでした。

そういえば、谷沢永一著「紙つぶて 自作自注最終版」(文藝春秋)に
こんな箇所があったなあ。

「司馬遼太郎を論じた文章や著作は相当数に達する。なかには『司馬遼太郎と丸山真男』(平成10年)等という奇抜な組み合わせで、名高い二人を並べたら売れるだろうという顔付きの本もある。結局は向井敏の『司馬遼太郎の歳月』(平成12年)しかないのかと手を拱いていたところ、その構想と資料の捌(さば)き方に於いて、史上初めての巧緻な独創の本が出た。すなわち山野博史の『発掘 司馬遼太郎』(平成13年)である。司馬さんに心を寄せること深く、内容の味わいがひとしお身に沁みる本である。
山野博史は世間に通っている司馬論はすべて省いた。そして広く散らばっている断簡零墨のなかから、司馬さんの人柄、心情、友愛など、ココロの籠っている文章だけを集めた。
それからが文献探索の難所である。つまり親知らず子知らずを行く気持であって、先程見つけた司馬さんの呼びかけ辞句に、同じ相手が司馬さんを語った文章を探し出す。漸く見出した砂金を生かすため、息の通った二人の懇親を描き出す。それも今まで世に知られなかった文章を重要視する。だから、この本は司馬さんの外面(そとづら)ではなく、専ら親しみの情を内面から写しだす。それも非常な資料費を投じての成果である。こういう本を読むと、世間一般に通用している評論書が色褪せて見える。」(p129)


うん。もう一度、本棚のよく見える場所に『発掘 司馬遼太郎』を置きなおさなくちゃ。
コメント
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