谷沢永一追悼集(浦西和彦・増田周子編)の第一部「悼む」のはじまりは、丸谷才一氏の文でした。
「数多い著作のうち代表作とも言うべきものは、初期の『大正期の文藝評論』と後期の『文豪たちの大喧嘩』であろう。」と丸谷氏は指摘しております。
ハハハ。私は2冊とも読んでないや。
ところで、谷沢永一著「紙つぶて 自作自注最終版」(文藝春秋)に、第4回毎日書評賞の新聞切抜き(2006年1月)をはさんでおいたのでした。そこには山崎正和氏の「選考を終えて」があり、「受賞者に聞く」もあるのでした。
そうでした。「紙つぶて 自作自注最終版」は毎日書評賞を受賞しておりました。
その「受賞者に聞く」の最後を引用。
「・・・この本の執筆は、友人の開高健が取り持つ縁で知り合った編集者・萬玉(まんぎょく)邦夫さんの提案で始まりました。萬玉さんがおととし(04年)に亡くなり、あきらめていましたが、遺志を継いだ編集者と文藝春秋により実現しました。半生をかけた仕事が1冊になり、どなたかに『私という人間を見てください』という時に差し出したいと思えるものが出来上がりました。(聞き手・手塚さや香)(写真・西村剛)」
しばらく、パラパラとめくる、
その緊密な愉しみのために、
この「紙つぶて」を、机の脇に置くことに。
「数多い著作のうち代表作とも言うべきものは、初期の『大正期の文藝評論』と後期の『文豪たちの大喧嘩』であろう。」と丸谷氏は指摘しております。
ハハハ。私は2冊とも読んでないや。
ところで、谷沢永一著「紙つぶて 自作自注最終版」(文藝春秋)に、第4回毎日書評賞の新聞切抜き(2006年1月)をはさんでおいたのでした。そこには山崎正和氏の「選考を終えて」があり、「受賞者に聞く」もあるのでした。
そうでした。「紙つぶて 自作自注最終版」は毎日書評賞を受賞しておりました。
その「受賞者に聞く」の最後を引用。
「・・・この本の執筆は、友人の開高健が取り持つ縁で知り合った編集者・萬玉(まんぎょく)邦夫さんの提案で始まりました。萬玉さんがおととし(04年)に亡くなり、あきらめていましたが、遺志を継いだ編集者と文藝春秋により実現しました。半生をかけた仕事が1冊になり、どなたかに『私という人間を見てください』という時に差し出したいと思えるものが出来上がりました。(聞き手・手塚さや香)(写真・西村剛)」
しばらく、パラパラとめくる、
その緊密な愉しみのために、
この「紙つぶて」を、机の脇に置くことに。