畑中章宏著「柳田国男と今和次郎 災害に向き合う民俗学」(平凡社新書)を読みました。わかりやすく読み進められて、ありがたい新書一冊。ああ、そういうことなんだなあ。と納得しながら読みました。
ちなみに、KAWADE道の手帖(2013年1月11日発売)の一冊に、「今和次郎と考現学 暮らしの今をとらえた目と手」(\1680)が出ており、さっそく興味がわきます(笑)。
関東大震災で、帰国した柳田国男は
「ひどく破壊せられている状態をみて、こんなことはしておられないという気持になり、早速こちらから運動をおこし、本筋の学問のために起つという決心をした。」(p95)
と畑中氏は柳田国男の文を引用しております。
第3章の終りでは、今和次郎のことを引用して、印象に残ります。
「柳田から宿題に今(和次郎)が答えようとしたのは、すでに戦時下のことだった。
『今日これをふりかえると、震災当時はまだ余裕があったのだと思えるのです。そして今日は空襲下における大都市住民はどうあるべきかという一層深刻な場面に立たされていると考えられるのです。震災のときは、いかにして帝都を復興すべきか、という考えの下に総ての動きがあって、一面において朗らかさがあったわけですが、今日は、いかにして帝都の疎開を促進すべきか、という課題の上に動いているのです。そして空襲にさらされた場合の生活と住居がいかにあるべきか、ということの予想と準備に魂を打ち込んでいる情勢にあるといえる時なのです。住居の問題も深刻でしょうし、生活の問題も深刻なのです。(「暮らしと住居」あとがき)』
このあとがきが書かれた頃、柳田は灯火管制下で、子どもたちに向けて『火の昔』を綴り、戦後社会を見すえて『先祖の話』を書いていた。
柳田国男と今和次郎は、民俗学においてこの『非日常時』に交わっていたはずだ。天災や人災によって家を失ってしまうこと、故郷を離れてしまわざるをえないこと・・・。近代日本のなかで生まれた日本民俗学にとって最大の関心事であったはずの難問を、二人は生涯手放すことなく取り組み続けたのである。」(p228~229)
そういえば、方丈記も住まいへの言及につながっていたなあと、あらためて、そんなつながりを思ったりするのでした。
ちなみに、KAWADE道の手帖(2013年1月11日発売)の一冊に、「今和次郎と考現学 暮らしの今をとらえた目と手」(\1680)が出ており、さっそく興味がわきます(笑)。
関東大震災で、帰国した柳田国男は
「ひどく破壊せられている状態をみて、こんなことはしておられないという気持になり、早速こちらから運動をおこし、本筋の学問のために起つという決心をした。」(p95)
と畑中氏は柳田国男の文を引用しております。
第3章の終りでは、今和次郎のことを引用して、印象に残ります。
「柳田から宿題に今(和次郎)が答えようとしたのは、すでに戦時下のことだった。
『今日これをふりかえると、震災当時はまだ余裕があったのだと思えるのです。そして今日は空襲下における大都市住民はどうあるべきかという一層深刻な場面に立たされていると考えられるのです。震災のときは、いかにして帝都を復興すべきか、という考えの下に総ての動きがあって、一面において朗らかさがあったわけですが、今日は、いかにして帝都の疎開を促進すべきか、という課題の上に動いているのです。そして空襲にさらされた場合の生活と住居がいかにあるべきか、ということの予想と準備に魂を打ち込んでいる情勢にあるといえる時なのです。住居の問題も深刻でしょうし、生活の問題も深刻なのです。(「暮らしと住居」あとがき)』
このあとがきが書かれた頃、柳田は灯火管制下で、子どもたちに向けて『火の昔』を綴り、戦後社会を見すえて『先祖の話』を書いていた。
柳田国男と今和次郎は、民俗学においてこの『非日常時』に交わっていたはずだ。天災や人災によって家を失ってしまうこと、故郷を離れてしまわざるをえないこと・・・。近代日本のなかで生まれた日本民俗学にとって最大の関心事であったはずの難問を、二人は生涯手放すことなく取り組み続けたのである。」(p228~229)
そういえば、方丈記も住まいへの言及につながっていたなあと、あらためて、そんなつながりを思ったりするのでした。