和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

うまい質問。

2013-03-08 | 短文紹介
池上彰著「学び続ける力」(講談社現代新書)に

「この質問は、なかなか核心を衝いています」
と池上さんが書いている箇所がありました。
その質問を、引用してみます。

「ある編集者に聞かれました。
『かつて教養新書と言われたジャンルは売れなくなってきているし、売れ筋の新書の主流は、すぐに仕事やキャリアに役に立つものに変わってきています。これは、世の中で求められる教養そのものが変わってきたということなのでしょうか?』
この質問は、なかなか核心を衝いています。」(p166~167)

テレビで見てると、池上彰さんはタレントの質問に、「いい質問ですねえ」とかなんとか、よく答えておられるのを思い浮かべるのでした。

さてっと、
今日の産経新聞一面左上に「賢者に学ぶ」として適菜収氏が書いているのですが、
そのはじまりは、こうでした。
「よい問いとは、答えが容易に見つからず、かつ答えが存在する(と思われる)問いである。簡単に結論が出るような問いは『問い』としての価値はない。批評家の小林秀雄は・・・・」

うん。小林秀雄といえば、
私がすぐに思い浮かぶのは、
岡潔氏との対談「人間の建設」のなかのこの言葉でした。

小林】 ベルグソンは若いころにこういうことを言っています。問題を出すということが一番大事なことだ。うまく出す。問題をうまく出せば即ちそれが答えだと。この考え方はたいへんおもしろいと思いましたね。いま文化の問題でも、何の問題でもいいが、物を考えている人がうまく問題を出そうとしませんね。答ばかり出そうとあせっている。
岡】 問題を出さないで答えだけを出そうというのは不可能ですね。
小林】 ほんとうにうまい質問をすればですよ、それが答えだという簡単なことですが。
岡】 問題を出すときに、その答えがこうであると直観するところまではできます。出来ていなければよい問題でないかもしれません。その直観が事実であるという証明が、数学ではいるわけです。それが容易ではない。・・・(新潮社・p76~77)

適菜収氏の文は、なかほどにこうありました。

「批判されればすぐに『対案を示せ』と大声をあげる人がいる。本を読めば『解決策が書いていない』と憤慨する人がいる。彼らは合理的に思考を積み上げれば正しい『答え』が見つかるはずだと信じている。こうした精神の『奴隷』が下す判断ほど危険なものはない。・・・こうした近代の宿命を深く自覚していた小林秀雄は、伝統も古典も常に現在の問題としてたち表れるものだと喝破した。・・・」


ところで、産経の今日の「正論」は
岡崎久彦氏でした。こんな箇所があります。

「・・・戦後史観の払拭である。それは、それまで日本と戦争していた米国が日本から物質的、精神的に戦争潜在力を根絶しようとして、過去の日本の歴史と伝統は全て悪と教えた初期占領政策によるものである。その政策は、冷戦が始まると、日本を頼れる同盟国とするために修正されたが、今度は、日本の精神的無力化を図る親共左派勢力にそのまま引き継がれ、戦後の日本の左翼偏向史観を生み出した。いかなる国も、その歴史と伝統を否定されては生きられない。左翼史観の払拭は、民族の長期的課題であり、教育の現場などにおいて、今後とも進めていかねばならない。」


うん。今日も読み甲斐がありました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする