和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

賢く次善を選ぶ。

2013-03-27 | 短文紹介
新潮45に連載中の
坪内祐三氏の「昭和の子供だ君たちも」は
4月号で、第17回目。
そこに坂本龍一が登場しておりました。
その登場の仕方。

「新宿高校の坂本龍一と言えば前回触れた小林哲夫【高校紛争1969‐1970】(中公新書)に面白いエピソードが紹介されている。
『69年11月15日、都立新宿高校では全共闘が印刷物配布の許可制撤廃、試験の廃止などを訴えて校長室を占拠する。生徒会長の塩崎恭久(やすひさ)らが校長とやり合っていた。国語科を教えていた前中昭教諭は、全共闘メンバーだった坂本龍一が占拠に加わっていないのを不思議に思った。坂本は遅刻していた。前中は学校史で記している。』

そして都立新宿高等学校の『六十周年記念誌』(昭和58年)に記されている前中昭の文章が引用されている。

『坂本龍一だけは遅れてやってきた。「どうした?」と聞くと、「かあさんがネ、起こしてくれなかったノ。」と答えた。私は彼の足を蹴とばしていた。/差別を拒絶するという彼らの主張は、今も正しい。しかし、現実における差異の否定にまで短絡させては、いかなる賢者も答えようがない。/結局、ダダをこねるという形になった。そして、自由の意味を正しく捉えてこなかった。戦後民主主義の弱点が露呈したに過ぎなかった。/四、五日たって坂本が、「僕らは民主主義の申し子なんですヨネ。駄目ということですかネ。」と、ビールをのみながら、私の目をみて呟いていた。その時の私は、生徒と徹底して付き合うしか仕方がないと、愚かにも思っていた』

エコでロハスなオール電化生活を礼讃していた坂本龍一の反原発への『転向』を批判する人もいるが、坂本龍一はデタラメな人という点で一貫しているのだ。」(p245)

そういえば、
曽野綾子著「不幸は人生の財産」(小学館)のなかの、12年8月31日号掲載文に坂本龍一氏が登場しておりました。

「週末ごとに行われている総理官邸周辺のデモに私は行かないが、教えてほしいことがある。『焚き火も、化石燃料も、原発もダメならば、明日からどうしたらいいのか』ということだ。デモの指導者の一人、坂本龍一は『たかが電気』と言われた。・・・
しかし電気は偉大だ。医療の世界では、電気は命そのものだ。手術室は必ず予備の電源を備え、救急車は電話によって出動する。人工呼吸器も停電になったら終わりだ。金融システムも交通網も、電気によって死命を握られている。もっとはっきりしているのは、民主主義も電気によって守られていることだ。電気のない国で民主主義を完成し、継続している国は世界中に一国もない。
最善ではなく賢く次善を選ぶことに我々は馴れなくてはならない。」(p116)


うん。こういう箇所は、すぐ忘れてどこにあったのか、とんと、わからなくなるので備忘録がてら記しておきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする